松沢呉一のビバノン・ライフ

映画「童貞。をプロデュース」の件—包茎復元計画[7]-(松沢呉一)

とある新年会での罰ゲームに対する告発—包茎復元計画[6]」の続きです。

 

 

 

男が告発しても笑われる

 

vivanon_sentence間が空いてしまいましたが、「新年会での罰ゲームについて告発したのがいたら」という仮想の続きです。

サラミを入れた彼女に続いて、ケツにネギを入れられた男も#MeTooをつけて、「私もケツにネギを入れられました」とツイートするとします。誰も聞く耳を持たないでしょう。サイズはつまみのサラミよりネギの方が大きくて、コンドームもかぶしてないんですよ。写真まで私に撮られてましたし、彼女と違って、口だけとは言え、彼は抵抗してましたし。だから、彼女は「入れた」ですが、彼は「入れられた」です。入れたのは私です。

それでも笑われるだけです。なぜ同じことを訴えて、女は事実関係の確認もないまま過剰に同情されるのに対して、男は笑われるだけで、誰も同情しないのか。

肛門と膣では意味が違うということもあるのですが、通常、入れる場所ではないケツに入れる方が苛酷とも言えます。つまみ用のサラミとネギではネギの方が苛酷です。だから彼女もサラミを代案として提示したわけです。

その場にいた私としては、事前にルール説明があって合意しているのですから男の告発が相手にされないのが正しくて、女が同情されるのは間違っていると思うのですが、たしかに女だと笑い飛ばすことは私でもできにくくなります。

仮にここで紅葉さん(今回も実名)が、「新年会に行ったら、ブチブチと爪楊枝を頭に刺されました」と告発したら、これまた「目の見えない障害者になんてことをするのか」と憤る人がいるでしょう。

マゾヒストたち』を読んで、まずは紅葉さんがどういう人物か知ってから判断しろって話ですし、前回の写真を見ていただければわかるように、爪楊枝を刺された人は紅葉さんだけじゃなく、むしろ分け隔てなく紅葉さんにも刺していたのですけど、そんな事実の確認をしないまま、「ひどい。障害者に対する虐待だ」と騒ぐ人たちがいそうです。事実よりも属性で判断しています。

これらは属性に対するバイアスなのです。弱者とされる属性の人々は同情が先に立つ。強者とされる属性の人は笑いが先に立つ。どちらも事実確認は後回し。

※よくわからない写真ですが、「肛門だけは撮らないで」と言って隠してました。

 

 

映画「童貞。をプロデュース」をめぐる騒動

 

vivanon_sentenceその新年会で、代表の F君とどういう脈絡だったか、映画「童貞。をプロデュース」の件を話しました。

どういう話か知らない人は「『童貞。をプロデュース』強要問題の“黙殺された12年”を振り返る 加賀賢三氏インタビュー」を参照のこと。それまでにも聞いたことがあったかもしれないですが、私が全貌を知ったのは、このインタビューでした。

 

 

 

これを受けて、松江哲明監督は謝罪文を出して解決か。

 

 

と思いきや、解決はしておらず、さらにこじれている様子です。

1月21日、同作品の配給会社である株式会社スポッテッドプロダクションズの直井卓俊・代表が「映画『童貞。をプロデュース』について(配給より経緯報告とお詫び)」を公開。

 

 

 

 

同日、松江哲明監督が「『童貞。をプロデュース』監督・松江哲明より」を公開。

 

 

 

法廷へ

 

vivanon_sentence今回の2名による文書の前から、この問題は取り上げなければならないと思いながら、「性行為の強要」に留まらない問題を孕んでいるし、事実関係がはっきりしない点があるため、私なりにあれこれ考えながらも、公には触れるに触れられなくなってました。

しかし、今回の松江監督の書いていることで、一点はっきりと支持できるところがあります。

 

 

「司法」という“公の場”においてお互いのわだかまりをなくし、全てを解き明かして“判断”もらいたい。その中で私に非があるということなら、私はそれを認めて「司法」で裁かれたいと思います。加賀さんに対して強要があったのか、加賀さんの名誉が棄損されたのか。私自身が「司法」のもと裁かれることで、加賀さんの求める「現にあった事実」が明らかになる最善の策として、私は努力を惜しまずこの問題に取り組むことを誓います。

 

そして今回、私の方から“公の場”として「司法」に委ねることにしますが、それはずっと加賀さんが望んでいたことであり、原告・被告としてではなく法律で瑕疵を客観的に判断してもらい、加賀さんのいう名誉回復につとめる為に私が裁かれたいと思っているからです。

私が「訴える」のではなく「裁かれる」のが今回の趣旨です。

 

 

具体的にどうするのかわからないですが、「形式としては自分が訴えるけれども、裁かれるのが本意である」という宣言なのですかね。

これ以上やりあっても解決しそうになく、裁判にするしかないと私も思います。互いに場外乱闘はやめて、野次馬もかき回さず、粛々と法廷で争えばいい。

 

 

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