松沢呉一のビバノン・ライフ

まず必要なのは教職員の教育かもしれない—大学における著作権教育[下]-(松沢呉一)

パロディの合法化をなぜ美術系大学は求めないのか—大学における知財教育[中]」の続きです。

 

 

間違った著作権理解

 

vivanon_sentence「ワシらは法とは関係のないところで自由に表現するんだもんね」といった意識が美大にはあるのではないか。

あるいは「著作権は大企業のためにある」なんて誤解をしている人たちもいるかもしれない。これは美大に限らず、著作権に疎い人たちがよく陥っている考え方です。ディズニーだったり、JASRACだったりの横暴さから導き出された間違ったイメージかと思います。

著作権は大きな企業が所有して、あるいは関与して、自己の権利を守るため、過度な運用を求める場合があるのは事実ですが、法人著作を除いて、著作権は個人のものです。

よく私が言うことですが、著作権が認められない社会において、誰が得をして誰が損をするのかを想像すると、著作権の意義がわかります。

たとえばアマチュアの漫画家が同人誌を出して、それを大手の出版社が名前を著名な漫画家に差し替えて出版してベストセラーになっても、元の著者にはなんの経済的利益ももたらされず、評価も得られない。友だちに「あれは私が描いた」と自慢して感心してもらうしかない。嘘つき扱いされるかもしれないけれど。

著作権というものがあるから、出版社は「これをうちで出させてください」と言ってくるし、それに対して正当な(かどうか知らんけど)原稿料や印税が支払われるのです。

当たり前のことを言ってますが、ここんところを理解していない人、理解していても、なんとなく法は自由な表現を阻害するものという感覚の人たちがいるのです。そういう人たちが多いから、法を理解している企業や団体が得をするばかりとも言えます。

自分らの権利と法の関係を正確に理解していない現状から変える必要がありそうです。

※文化庁のWEB資料「マンガでわかる著作物の利用 作太郎の奮闘記」。文化庁がサイトで公開しているさまざまな資料だけでも基本は十分かと思います。

 

 

表現を不自由にしている現状を容認する大学

 

vivanon_sentenceはっきりとは断定できないですが、美大にはそういう考えの人たちがたくさんいそうです。そうとでも考えないと、こうも知財教育が出遅れていることの説明がつかない。

「法律を律儀に守る発想からは創造的な作品は生まれないのだ」などとしながら、次から次とパクラーを美術系の大学は生み出し、それに対して規則に沿った処分もできない。

勝海麻衣は個人の資質が大きいのでしょうが、そういった個人の資質を何年かけても矯正できない学校の責任もまた重大だと思います。東京芸大学長だった平山郁夫にも盗作疑惑が持ち上がっていたことがありますしね。ちゃんと調べてないので、私は判断できないですが。

日本において表現の自由を制限しているのは刑法175条のわいせつ物頒布罪であることは明らかです。よその国では展示でき、画集として出版できるものが日本ではできない。また、刑法174条の公然わいせつ罪によってダンスやパフォーマンスも制限され、美術モデルだって捕まりかねない

美術系の大学が揃って声明でも出すなり、署名の音頭でもとれば、少しは刑法174条改正や刑法175条撤廃の機運が盛り上がるかもしれないのに、それもやらない。

勝海麻衣の盗用に対して、「パクった東京芸大大学院生の勝海麻衣より、パクられた猫将軍の方が画力がある」と皮肉られていましたが、画力は劣るわ、著作権意識は劣るわで、表現の自由を守る気概はないわで、日本の美術系大学はいったい何を教えているのかと疑問が生じることをとめられない。「代理店へのプレゼン方法」や「大衆をたぶらかす話題作りの手法」だけ教えているのか?

 

 

「無断引用」を使うお茶の水大学や防衛研究所

 

vivanon_sentence美術系に限らず、著作権に鈍感な大学が存在することはネットを見ているだけでもある程度は想像できます。

東京芸大大学院は勝海麻衣を懲戒処分すべきか否か[中]—懲戒の基準 23」に、「国立大学法人お茶の水女子大学学生懲戒規程」は「無断引用」という言葉を使っていることを指摘しました。ずいぶん前から指摘されている「不適切な用語」です。私が20代の時にすでに指摘されていたはずです。

 

 

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