『読んでいない本について堂々と語る方法』を読んで堂々と語る—本にまつわる権威と幻想[1]-(松沢呉一)
「猫町倶楽部は本を読むことの意味を改めて考える場だった—猫町倶楽部初体験(7)」の最後に書いたように、猫町倶楽部が本を読むことに与える効用については、猫町倶楽部代表の山本多津也さんの著書である『読書会入門』に的確に書かれているので、そちらを読んでいただければよく、私がそこに重ねて書くこともないだろうと思って、書いてあったのをボツにしました。勢いで書いてすぐにボツにする癖があります。
ボツにした原稿では、この本に取り上げられていたピエール・バイヤール著『読んでいない本について堂々と語る方法』をタイトルに従って、読まないうちに語ってました。いざ読んでみたら、私が読まずに書いていたことは大きくは間違っていなかったのですが、面白味という意味では想像以上で、これを読んだことをきっかけに「本を読む」「本を語る」ことについて、あれこれ考えるところがあって、すでに書いてあったこととその後考えたことを合わせてまとめてみました。
このシリーズの前半は『読んでいない本について堂々と語る方法』についての私の感想が続きます。この本は邦訳が出てから10年以上経っているため、多数の人がこの本に言及しているはずで、私と同様のことを書いている人も多いでしょうが、あえてそれらを見ずに、そのまま出しておきます。その意味はのちのち説明します。
猫町倶楽部を婚活に利用することを歓迎する山本代表の考え
阿佐ヶ谷ロフトで開かれた猫町倶楽部の読書会、それに続く懇親会に出たあと、新潮社の岑さんや参加者だったカメラマンの酒井よし彦さんらと駅に向いながら、私はこんなことを言いました。
「あの様子だと、恋も生まれそうな会だね」
酒井さんはこう言います。
「それどころか、婚活に利用している人たちがいるらしいですよ」
「えーっ! そうなのか」
これを受けて、もっとオゲレツなことも私は言っていて……以下、自主規制。
今なお地味なイメージがまとわりつく読書会と結婚だの婚活だのといった言葉の組み合わせは聞いたことがなくて斬新でありましたが、この時点ではなお半信半疑でした。「そういうのも一部にはいるだろうけどさ」といったところ。
事実だとしても、このことはおおっぴらに語ってはいけないことなのかと思っていたら、山本多津也さんは『読書会入門』で、結婚したのが60組以上という数字まで入れて、このことを書いてました。
ただ隠し事をしないってだけでなく、本を読む際に、時に邪魔になる権威を取り除きたいのだなと察知しまして、私もしょっぱなからこのことを大きくクローズアップしてみたわけです。
『読書会入門』で山本多津也さんは、ピエール・バイヤール著『読んでいない本について堂々と語る方法』を紹介しつつ、こう書いています。
(略)私が読書会を続ける上で目的としていることの一つには読書のハードルを下げる、ということがありますので、読書が何らかの行動の口実になっているすれば、それはまさに本望です。けれども、本というものはやはりどうも神聖化されていて、一介の読者が個人的に本を利用するのは許されざる禁忌である、というような空気があります。
どうぞ読書会を婚活に利用してくださいってことですし、そういうことを言っていい場にしておきたいってことでしょう。
※John Sloan「Nude Reading」
『読んでいない本について堂々と語る方法』のテーマ
私は「今この瞬間、世界で誰も読んでいない本」を読むのが好きなので、半世紀前、一世紀前のものを読むことが多く、最近はナチス関連ばっかりなので、新刊については疎くて、読んでいないどころか、何が出て何が売れていて何が評判になっているのかもよく知りません。
この数ヶ月、私の中で「話題の新刊」は小野不由美著『十二国記』と花房観音著『好色入道』です。他にも読んだものはありますが、触れるほどでもない。
『読んでいない本について堂々と語る方法』は、 2008年に邦訳が出ていて、2016年に文庫化されているのですが、私はまったく知らずにいました。
『読書会入門』での紹介を見て、これは面白そうだと思って購入したのですが、またナチス病が再発してしまったため、読むのが遅くなってしまいました。
この手のものを長らく読んでいなかったので、一文一文が新鮮で、息つく間もなく一気に読み終えたのですが、私のように「時代の流れについていく」「話題についていく」「知的会話ができるようにしておく」「人と話を合わせる」「教養を身につけておく」といったプレッシャーによって本を読むことはとっくに放棄して、ひたすら「読みたいものを読む」「自分自身に必要なものを読む」といった内的衝動優先の読書を実践しているタイプには、この本はあまり必要がありませんでした。
他の人が読んでいないものは読んでいると自負しても、その分、当然読んでいると思われるものを「読んでない」と堂々言ってきてますから、読んでない本を読んだことにする必要がないのですが、「私にとって必要か否か」とはまったく別の読物として大変刺激に満ちてました。
そのタイトル通りに、本を読まなくても、鮮やかに本を語れるようになり、恥をかかなくて済むようになる本だと思って読むとひどい目に遭います。では、「読んでいない本について堂々と語る方法」が内容とかけ離れた「売らんかな」の題号かというと、そうかもしれないけれど、少しもウソのないタイトルだとも言えます。
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