松沢呉一のビバノン・ライフ

猫町倶楽部が出版社に影響を及ぼす可能性—猫町倶楽部初体験(6)-(松沢呉一)

エチオピア料理を食べながら猫町倶楽部について語った夜—猫町倶楽部初体験(5)」の続きです。

 

 

 

そこにあっても入るきっかけがない店

 

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筑摩書房の松本良次さんは地元ですから、「リトル・エチオピア」の前をよく通っていて、店があることはわかっていても、これまで入る機会がなかったそうです。そういうものです。すぐ近くにあるのに、機会がないために踏み込まない場所、踏み込めない場所がたくさんあります。

そこに店があっても、気づいていない人たちもおそらくいます。東京のヘビと同じ。すぐそこに棲息しているのに、気づけない人は気づけない。

私の銭湯巡りは知らない東京を知る機会を自ら作るという意味合いがあって、銭湯巡りをしていなかったら、四ツ木に立ち寄ることはありませんでした。一生機会がなかったかもしれない。

葛飾区自体、銭湯巡りの前には数えるほどしか足を踏み入れたことがない。亀有や金町に何度か行ったことがあるくらい。柴又も行ったことがありませんでした。銭湯巡りを始める前に35年くらい東京に住んでもそんなもんです。いかに狭いところで動いていたのかが今はよくわかります。

その葛飾区の中でも四ツ木は地味な場所です。ここに用事があるなんてこともなく、観光名所があるわけでもなく、「キャプテン翼」の聖地巡りをする人以外、大多数の都民は降り立ったことがないでしょう。

また、音楽という契機がなかったら、私にとってのエチオピアは「アベベの国」あるいは「レゲエの背景にあるラスタファリにとっての神の国」で留まって、アフリカ大陸のどこにあるのかもわからないまま、エチオピア料理を食べることもなかったと思います。

私はたまたまブルガリアだったり、エチオピアだったりにハマってしまいましたが、世界にはまだまだ知らない場所、知らない音楽、知らない食べ物があります。

本も同じ。大量に出ている本の中からある一冊を手にすることを決定するにはなにかしらの機会が必要です。新刊の話題は目にしますし、SNSでも、著者自身の新刊案内もよく流れてきます。書店でも新刊は扱いがいいので、手にする機会があります。

猫町倶楽部がそこに重ねてきっかけを作るよりも、猫町倶楽部が取り上げなければ読むことのないものを取り上げることの方に意義があります。猫町倶楽部が名作・古典に重きを置いているのは、版元にとっては「重要なのだけれども、忘れがちなところ」のケアをしている側面があります。

※「リトル・エチオピア」の看板。どうしてもレゲエ・イメージにつながって、ラスタな人々が集っているように思われてしまいましょうが、そんなことは全然ありません。エチオピアでも、ジャマイカからの移住者やエチオピア人によるレゲエは盛んですが、レゲエはエチオピアの音楽シーンの一ジャンルであって、エチオピアを代表する音楽というわけではありません。

 

 

版元にとっての新刊と旧刊

 

vivanon_sentence猫町倶楽部の課題図書は、新刊よりも名作、古典ものに重きがあるので、自分が担当した新刊を売りたい編集者の意向とは重なりにくいのですが、歴史ある版元は定番ものに支えられています。新潮文庫の売り上げを見ると一目瞭然。

「『マゾヒストたち』が新潮文庫のベスト30位に入ったぞ」と喜ぶわけですが、その周辺には星新一や太宰治、サン・テグジュペリが並んでいます。今も中学生、高校生はこういうものを読むのです。『マゾヒストたち』は本が出てからちょっとの間だけ100位に入るだけですが、それらの定番は浮き沈みはあれども何十年も100位に入っています。どんだけ売れてんだと羨ましくなります。

 

 

2020年2月1日現在の30位前後

 

 

新潮文庫ともなると、そういったロングセラーが多数存在し、だから「新潮文庫の100冊」というキャンペーンもやっています。老舗が強いのはここです。著作権切れのものは各社が出していますが、それでも読むなら新潮文庫という人たちも多くて、信頼があるのです。ただの癖による読みやすさに過ぎないかもしれないけれど、歴史は重い。

しかし、著者が亡くなっている定番の文庫を担当した編集者もすでに会社に残っておらず、あるいはやはり故人になっていたりもして、今の編集者たちはそれよりも自分の担当したものを売りたい。

そのため、猫町倶楽部としても、出版社と密に関係を築くことに意義を感じないのかもしれません。

山本多津也さんは名古屋で住宅のリフォーム会社を経営しています。読書会で利益を得ているなら、版元に連絡して自分らのことを売り込んだり、協力させたりするでしょうけど、そういう発想がないみたい。版元の事情に左右されないことがいい結果を生んでます。

しかし、課題図書の選択を広げておくために、版元をからめた方がいいこともあるのではないかとも思いました。

 

 

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