松沢呉一のビバノン・ライフ

「抑留者異常心理」「有刺鉄線病」の様々な症例—E.A.コーエン著『強制収容所における人間行動』[3]-(松沢呉一)

戦争になると自殺者が減る現象と収容所で自殺がほとんどなかったこととの関わり—E.A.コーエン著『強制収容所における人間行動』[2]」の続きです。

 

 

 

収容者たちの心理的変化

 

vivanon_sentence死者数のような数字で強制収容所の苛酷さを想像させる記述はよく出てきますが、E.A.コーエン著『強制収容所における人間行動』には、収容所ものによくある残虐描写はあまり出てきません。それを目的にしたものではなく、極限における人間の心理がテーマです。しかし、そのこともまた強制収容所の苛酷さを十分に伝えます。

収容所に入れられた人々は多くの場合、絶望に襲われ、やがて無気力になり、そして鬱状態になります。これを経て、数ヶ月後には「抑留者異常心理」「有刺鉄線病」と表現される心理に至ります。具体的には「感受性の増進、利己的な態度、よりよい生活を楽しむ者に対する嫉妬、食物に関する異常な関心、同情の欠如、死の恐怖の喪失、性衝動の衰退と消失など」です。

これは生存のための適応能力であって、そうしないと生き延びることができない。事実、この状態に至る前に死んでいく人たちもいます。

収容所について知ると、「皆が力を合わせれば、蜂起することも可能だったはず。銃器を持ち、訓練された親衛隊には勝てないとしても、どうせ死ぬなら一泡吹かせたい」とも考えるわけですけど、それが困難であることがよくわかります。

そんなことより、頭を支配するのは「食物に関する異常な関心」です。性欲は消えて、そのことばかりになって、夢にも食べ物ばかり出てくるようになるそうです。

看守たちが戦後の裁判で、食事を盗む収容者がいて、また、列を乱し、食糧の取り合いになるために制裁せざるを得なかったと口々に証言していたことが、本書では収容者の側から説明されています。著者は医者という特恵者であり、他よりも恵まれていたはずですが、食べ物については自分を抑えることができなかったことを正直に吐露しています。

衣食足りて礼節を知る、腹が減ると他人を出し抜いてでも食べ物を得ようとする。質素なスープでさえも取り合いになる。少しでも食糧を得るためには盗みもする。そのために他者の取り分が減ることがわかっていても、利己的な姿勢が優先されます。

ルドルフ・ヘスは、自身の責任を棚に上げ、生存者である収容者に対して、他の収容者の犠牲のもとで生き延びた「鈍感な恥知らず」と評してましたが、これは正しい。ルドルフ・ヘスが言うのは正しくないですが、もともとそういう人じゃなくてもそうなる。そうならなかった人、つまり低劣な環境に順応できなかった人は死んで行く。

Photo by Arnold E. Samuelson.  A group of female survivors stands outside a barracks in the newly liberated Lenzing concentration camp. レンツィング収容所が解放された際の収容者。この写真でも、以下の写真でも皆さん髪の毛を伸ばしていて、どこの収容所でも、入所間もない人たちを除いて、髪の毛を伸ばしていたことは間違いなさそうです。髪の毛については『強制収容所における人間行動』にも記述があり、「ユダヤ人女性収容者でも髪の毛を伸ばしていた—収容所内の愛と性[27]」に追記しておきました。

 

 

生きるための工夫

 

vivanon_sentenceこの本の中には印象に残るエピソードがいくつか出てきます。以下はそのひとつです。

 

 

ブロックは、解放後直ちに、ドイツに散在する強制収容所をあちこち訪ねたアメリカ軍将校の一人であって、レンジング強制収容所 Concentration Camp Lensing(オーストリア)で五四七名にのぼる多数のユダヤ人女子抑留者を調査した。彼は、ある一人の女子抑留者の物語りを詳細に記録している。この女子抑留者は「ある英国の貴族の出の。教養ある婦人であった」ということで、結婚後フランスの国籍を得てからも「平和な日々の彼女の生活は、彼女の寛容、恭順、その他の人間的美徳を知らぬ者はなかった」とさえいわれていたという。この婦人がブロックに対して次のように語ったのである。「私はただ生きようと決心したのでした。生きるという目的を貫くためには、夫や子供、両親や友人のものを盗んでも、後悔することがなかったかもしれません。……いつも私は、僅かばかりの代用コーヒーやスープさえものどに通らぬ程に、ひどく弱っている抑留者の席の近くに座りました。そして彼らに生きてゆくように励まして、食物をすすめてやる代わりに、彼らに、それをもはや口にする力がないような気配が一寸でも見えれば、代わりに私がその食物をもらい受けて、むさぼるように食べたものでした。こうして、生きていくために少しでも多くの食物を手に入れるようにする、この狂気じみた欲望に満足が与えられなかった日には、その日一日が空腹であったように感ぜられ、ひどく気が滅入ったものでした」

 

邦訳の初版が出たのは1957年。私が生まれる前です。それからずっと増刷されてきた本書の誤植を発見(私が読んだのは2004年の16刷。以降さらに増刷されていて、直っている可能性もなくはない)。レンジング強制収容所は初耳で、どういう収容所だろうと思って検索したのですが、日本語では出てこず、Concentration Camp Lensingでも見つからず、Concentration Camp in Austriaで検索したところ、Lenzing Concentration Campが見つかりました。LensingではなくLenzingでした。レンジングよりレンツィンクが日本語表記としてはより適切かと思います。以下、レンツィンクとします。

 

 

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