松沢呉一のビバノン・ライフ

正常な精神を保ち続けた人々の共通点が全体主義に対抗する武器となる—E.A.コーエン著『強制収容所における人間行動』[6](最終回)-(松沢呉一)

ブーヘンヴァルト強制収容所の反乱—E.A.コーエン著『強制収容所における人間行動』[5]」の続きです。

 

 

 

ドイツ人にとってホロコーストは道徳的な行動だった

 

vivanon_sentenceE.A.コーエン著『強制収容所における人間行動』は収容者の心理を綴りつつ、最終的には「なぜドイツはああなったのか」を論じていて、著者の力点はここにあるのではなかろうか。

人々は失われた神をヒトラーに見た—ルドルフ・ヘス著『アウシュヴィッツ収容所』を読む[9]」で、H・P・ブロイエル著『ナチ・ドイツ清潔な帝国』にあった、ドイツ人の中にある「集団に身を任せたいという欲求」という特性について書きました。

それに通じるものかもしれないですが、『強制収容所における人間行動』には、子どもにとって両親、なかでも父親の存在が絶対であることがドイツ人の特性として書かれています。これは上に無条件に従うということであり、命令が抗えない力を持ち、その内容を疑うことをしない。考えるべきことはどう命令を実行するかだけ。

これが道徳でもあります。平時においては美徳かもしれないこの道徳がヒトラー登場以降にも機能してしまったのです。

著者はドイツ人の多くが強制収容所で何が行なわれているのかを知っていたという見方を紹介しています。この頃からもう言われていたのかと驚いたのですが、時間が経過していない分、正確に把握されていて、時間が経つにしたがって「知らなかった」「騙された」といった自己保身の言葉が広がったのかもしれない。

また、ルドルフ・ヘスの発言を引きながら、彼らがサディストであったという見方を否定し、彼らはただただ道徳的であり、ナチスドイツの中では善としての行動をとったのだとしています。ヒトラーという絶対権力者であり、偉大な父親に従うのが道徳であり、善でした。

「よき夫、よき父」をやり、馬が好きな優しさを持ちながら、虐殺命令を出すヘスの二面性は、分裂していたのではなく、普段は抑え込んでいるサディズムが発現したのでもなく、どちらもが道徳的だったと見る方がよさそうです。

同時に、ヘスの文章は、自分を自分と切り離し、他人や出来事を自分から切り離すような特性があって、よく言えば客観的で冷静ってことですが、ヘスはヘスで解離性同一性障害に陥っているような感触もあります。鞭打ちさえも見たくなく、虐殺現場も見たくないヘスとしても、生存のための心理を作動させていたのではなかろうか。

収容者を「鈍感な恥知らず」と言ってのけたルドルフ・ヘスもまたナチスという環境に順応して鈍感な恥知らずになっていたのであり、ドイツ人の多くもそうでした。

Wikipediaより、ブーヘンヴァルト強制収容所開放後に視察するアルベン・W・バークリー米上院議員。この中にはカポの遺体も混じっているかもしれない。

 

 

偉大なる父親ヒトラー

 

vivanon_sentenceSSの特性を、著者は「独立性を失った」「権威者を強く求める」といった言葉で表現しています。この特性はドイツ全体の特性であったとも指摘します。だから、国民はナチスを、ヒトラーを支持したのだと。内心、抵抗をしていながら従うしかなかったのではなく、好んで支持した。それが耐えられない人たちは国外に逃げるか、殺されていきました。

おそらくドイツでも、ナチスが力を持ち出すとともに自殺者が増え、虐殺が進行していく頃には自殺者が減少していたのではなかろうか。そして、戦争終結とともに自殺者は激増したはずです。彼らもまた程度は違いながらも、生存のための異常心理になっていて、日本人もそうだったのだろうと思います。その異常心理のおかげで、空襲で人が次々と死んでいく時には自殺をしないで済んでました。反動はそのあと。

日本の数字と重なっているのだとすると、収容者も解放されて以降、自殺したのは多かったと推測できます。著者もそうだったようですが、収容所に適応した人々は、正常に戻るのに長い時間が必要となり、収容所では無感覚だったのに、その時のことがやっと実感を伴って再現され、それに耐え切れずに死ぬ人たちがいたろうと思います。

 

 

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