松沢呉一のビバノン・ライフ

槇原敬之が書いた歌詞はシャブ臭い—「世界に一つだけの花」を吟味する-[ビバノン循環湯 563]-(松沢呉一)

槇原敬之がまたシャブで逮捕された報道を見て、「前に槇原敬之のことを書いた原稿があったな」と思い出して循環しておくことにしました。こういう話題にあまり乗りたくないですが、ここまで出していなかったように、こんな機会じゃないと再録する機会が来ないでしょうし、こんな機会じゃないと再録したところで読む人もいないでしょう。

これは「ロック画報」の連載に書いたもの。2004年だと思います。ちょっと手を加えました。

シャブをやったことは許せるのですが、「世界に一つだけの花」の歌詞は許せないのです。今考えると、「世界に一つだけの花」も、シャブやって書いたか、フラッシュバックの中で書いたのかもしれないので、デタラメなのはしょうがないか。どんなときも〜どんなときも〜。考えようによってはシャブ中の作った曲が国民的なヒットとなったのは痛快とも言えます。

 

 

「ナンバーワンよりオンリーワン」は同志Gacktのフレーズ

 

vivanon_sentenceすでにご存じのように、私はGacktに対して、一方的な仲間意識を感じている(注)。チンコ仲間、エロ仲間とでも言うべきかな。その同志Gacktのために、どうしても私は社会に対して言わないではいられないことがある。

あのさ、紅白でも歌われ、やたらと評価の高いSMAPの「世界に一つだけの花」なんだけど、あの歌詞が評価されている最大のポイント「No.1にならなくてもいい もともと特別なオンリーワン」というコンセプトはGacktのパクリだろ。

前にテレビを観ていたら、Gacktが「ナンバーワンよりオンリーワンになりたい」と言っていて、さすが同志はいいこと言うなと感心したんである。

私の記憶違いかと思って、インターネットで検索してみたら、やはりGacktは「ナンバーワンよりオンリーワン」と言い続けていた。さらに元ネタがあったりするのかもしれないし、著作権侵害云々という話ではないのだが、長年、キャッチフレーズのように言い続けてきた人の言葉を脇からちょろっと持っていってヒットさせるのはあざとすぎる。

「他の人と争ったり、比べたりするより、自分は自分らしくいたい」というコンセプト自体はありふれているから、この考え方にはパクリも何もないけれど、それを真似するなら、「ナンバーワンよりオンリーワン」という言葉ではなく、「自分らしい言葉」を選択すべきだ。

No.1にならなくてもいい もともと特別なオンリーワン」という歌詞が意味するところとやっていることが違いすぎる。オリジナルのない槇原敬之はパクってナンバーワンかよ。その点、同志Gacktはヒットチャート1位になんてなったことはなく、言っていることとやっていることが合致している。

こういうのって、本人は言いづらいだろうから、同志の私が代弁してみた。槇原敬之、シャブはいいとしても、パクリはいかんぞ(追記)。

注:この連載で、Gacktの下半身事情に詳しい人物に出会ったことを書いていた。全然悪い話ではなくて、以来私はGacktに親近感を抱くようになった(その回も循環させました)。

追記:槇原敬之の歌詞をめぐって松本零士との泥仕合がありましたが、裁判では槇原敬之による著作権侵害は認められず。言葉の重複からして、どこかしらで聞いていた可能性は十分あって、松本零士がパクられたと思ったのも理解できますが、偶然を完全に排除できるようなものでもなく、裁判で決着できるようなものではないと当時私はメルマガに書いてたはず。「ナンバーワンよりオンリーワン」もGacktのオリジナルかどうかは不明ですし、仮にパクったとしたって著作権侵害に該当するようなものではないですが、歌詞にするなら自分にしか書けない言葉を編み出して欲しい。

 

 

世界に一つだけの花」の歌詞はおかしい

 

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槇原敬之がゲイであることはその世界では知らない者がいない公然の秘密だったわけだが、クスリでパクられたついでに、このことまでも広く世間にバレてしまい、かえって本人は楽になったのか、このところ、ヒット曲を連発して、ヒットメイカーとして完全復帰を果たした感がある。

ゲイじゃないくせにゲイにも同志意識のある私は、同志・マッキーの復活を心から喜んでいるのだが、その後も本人はゲイであることを公言しているわけでもない。公言するもしないも本人の勝手ではあるのだが、あれほど売れている人が、あれほどゲイであることが明らかになってもなおそのことをなかったことにするのは、「ゲイであることは隠すべきこと」というメッセージを発信することになってしまって、同志感も色褪せてきた。

「自分らしく」と歌っている人がそこをオープンにしないことは歌詞もまた色褪せる。

そのことやパクリ疑惑だけじゃなく、「世界に一つだけの花」に対しては大きな疑問がある。論理的、生物学的にあの歌詞はおかしいのだ。

歌詞に正しさを求めるのは正しくないようにも思うのだが、あの曲は小学校や中学校や高校で合唱曲になっていたりもして、教育現場で歌うのはまずい。

作者と作品は別なので、シャブ中が作ったこと自体はなんら問題にならないとして、また、音楽教育はウソでもなんでもいいとして、国語や社会、理科教育に悪影響を与えよう。

 

 

 

 

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