松沢呉一のビバノン・ライフ

百年以上前の日本がよくわかる『欧洲大戦当時の独逸』—ベルツ花子の見た日本とドイツ[1]-(松沢呉一)

 

 

ベルツの妻・花子の著書『欧洲大戦当時の独逸』

 

vivanon_sentenceお雇い外国人の医学部門を代表するベルツの内科病論』を読み(伝染病についてだけですが)、その流れでコレラのさまざまを読む一方で、ベルツの妻であるベルツ花子の著書『欧洲大戦当時の独逸』(昭和8年)を読みました。

江戸末期から明治半ばまでの日本では虎列刺(コレラ)で年間10万人が死んでいた—新型肺炎(COVID-19)について触れにくい事情[余談編 1]」にも、「都市伝説「黄色い救急車」とコレラの関係—新型肺炎(COVID-19)について触れにくい事情[余談編 2]」にも、この本は登場しましたが、ベルツの専門である病気の話はほとんど出て来ません。花子は医業に関わっていたことはなく、大学に関わっていたこともないので、関心がなかったのかもしれないですが、それでも明治初期においては、コレラについて触れざるを得ないくらいの騒ぎだったってことです。

この本ははしがきで自身が書いているように、「前後も順序もなく」、花子が思うがままに書き綴ったものであり、さまざまな話が次々と出てきて本としてのまとまりが悪く、章立てもないのですが、ざっと分けると、第一部はドイツでの生活を描いたもので、これが図版ページを除いた本の半分を占めます、第二部は日本からドイツ、ドイツから日本への船旅を書いた紀行文で、これは短い。第三部はベルツと暮らした日本での生活です。

第三部がわかりやすく面白くて、当時のお雇い外国人たちの様子、そこに出入りするさまざまな立場の日本人や各国人たちの様子を記録したものとしても読みどころが多く、この本が出た当時も第三部がもっとも面白かったのではなかろうか。

時間軸に沿って、第三部が前に来た方が落ち着きがいいのですが、本書はタイトルにもあるようにドイツの生活がメインになっています。そういう主旨の本にしたのは時代ではなかろうか。

花子としては、西洋に旅行する人たちから仕度や心得について聞かれることが多く、それをまとめておいたということなのですが、第一部のほとんどは欧州大戦中のことです。ただの旅行ガイドではありません。

日本も第一次世界大戦に参戦しながら、戦闘は青島くらいですから、戦車や飛行機による新しい戦争であった欧州戦の激しさを実感できていませんでした。対してドイツでは、フランス軍による空爆を受けて、非戦闘員である国民も多くの被害を受けていますし、物資のないドイツでは耐乏生活を強いられました。

本書が出た昭和8年は、国際状勢がきな臭くなってきた頃ですから、次の戦争のための心構えとして大戦をドイツで経験した話が求められたのだろうと思います。

それと同時に、ベルツが日本を去ってから四半世紀以上経ってますから、ベルツの記憶も薄らぎつつあって、「妻が書いたベルツの思い出」ってだけでは売りにならなくなっていたのかもしれない。

と最初はそう思いました。でも、この本は妙なのです。装丁からも想像できるように、おそらくこの本は親族や知人らに配られた自費出版です。売り上げなんて考える必要はない。

一通り読み終わって、ベルツ花子がこの本に込めたメッセージを私なりに推測をしています。それについてはのちほど。

 

 

エルヴィン・フォン・ベルツの人生

 

vivanon_sentence第三部に比べると、第一部はわかりにくく面白い。「わかりにくい面白さ」の意味ものちほど説明するとして、まずはわかりやすい面白さに満ちた第三部から。

エルヴィン・フォン・ベルツ(Erwin von Bälz)は、1849年、シュトゥットガルト(Stuttgart)にあるビーティッヒハイム=ビッシンゲン市(Bietigheim-Bissingen)で生まれ、テュービンゲン大学(Eberhard Karls Universität Tübingen)からライプツィヒ大学(Universität Leipzig)に編入し、卒業後、同大に勤務。

同大の病院に日本からの留学生である相良元貞が肺病で入院します(本文では漢字違いの相楽という姓しか出ておらず、追記にそれが間違いだったとして、正しくは佐賀良としていますが、これも間違いだったようです。相良元貞についてはこちらに出ています)。ベルツは異国で入院するのは心細かろうと思って病室に行くたびに話をし、やがて2人は打ち解けて、ベルツは相良元貞に「もし日本でドイツ人教師が入用になったら自分が行く」と軽い気持ちで話しました。

 

 

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