松沢呉一のビバノン・ライフ

花子が伝えたかったことは…—ベルツ花子の見た日本とドイツ[8](最終回)-(松沢呉一)

スパルタクス団に対する反感をこれでもかと—ベルツ花子の見た日本とドイツ[7]」の続きです。

 

 

 

戦争の悲劇

 

vivanon_sentenceベルツと花子の息子である徳之助(独名はToku)も兵士として戦地に行っており、フランスのドイツ占領地に赴き、当初は7名の同期がいたのに、徳之助以外は全員戦死。ベルツの甥も戦死しています。徳之助は戦後まで生き残りますが、イタリアで捕虜になり、脱走を試みて捕まっています。

これ以外に、空襲で一家全員無くなったガラス屋の話、ロシアに出兵して、足がぬるぬるするので靴を脱いだら凍傷で皮膚がはげ落ちていて、両足を切断した兵士の話、戦争で資産を失って惨めな生活をする上流階級の人々など、勇ましい話はまったくと言っていいくらい出てこず、「戦争の悲劇」(花子の言葉)ばかりです。

臆病だった人が戦地に行って戻ってきたら、人が変わっていたといったエピソードも出てきますが、それをよかったこととしては書いていません。むしろ著者はそれを恐がっているようです。

しばらく気づかなかったのですが、この本の見返しはドイツ兵の死を示唆するものにも見えます。

 

 

花子自身の手によるものだと思います。

 

 

ドイツと日本の狭間で

 

vivanon_sentenceそのことでとくにイヤな思いをしたなんてことは書かれていないですが、たいした戦闘はなかったとは言え、ドイツと日本が敵国になったことは、花子にとって相当に複雑な思いがあったのだと想像できます。

ベルツも日独が戦争になることは避けたかったようです。

 

 

ベルツが明治四十年頃演説をして、「何か事が起れば必ず諸国から苦情の種になる故、今の内に青島は還付して仕舞へ」と申しました。その当時は当路の役人達は全然(まるで)耳を貸さず、人民も意にも留めず、皆馬の耳に念仏でした。転倒(ころ)ばぬ先の杖といふ事もあるに、外交の局に当る者の随分呑気な話だと常々思って居りましたが、今となって夢の覚たのではもう遅蒔き、一国一国と相継ぎて敵方に廻って仕舞ふ。

 

 

青島に駐留していたドイツ軍には、日独の混血が多数配属されていて、陥落したのを喜んだのもいたとも書かれています。ドイツ軍の弱さ、日本軍の強さを言いたいのではなくて、混血のドイツ兵らが戦争をしたくなかったこと、戦争が終わったことを喜んだことは花子の内面と重なるものでしょう。

この本のメッセージは「戦争はしてはならない」ってことだったのではないか。

 

 

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