松沢呉一のビバノン・ライフ

咳が出て熱があっても病院に行かない理由と陽性率—ウイルスとウイルス恐怖症に覆われる世界[3]-(松沢呉一)

マスク率は高いのに対して、なぜゴーグルや手袋をする人は少ないのか—ウイルスとウイルス恐怖症に覆われる世界[2]」の続きです。

 

 

 

自主隔離というより自主避難

 

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一昨日から風邪をひいて自主隔離中です。

熱っぽくはあるのですが、寝込むほどの風邪ではありません。しかし、なにより恐いのは咳が出ることです。風邪につきものですけど、人のいるところで咳が出た日には何をされるかもわからない。

ちょっと前のこと。たしか大田区だったと思いますが、銭湯に向って歩いている時に、なんということもなく軽く咳をしたら、前を歩いている若い男がビクッとして振り返り、道の脇に退避しました。5メートル以上離れていたんですよ。マスクをしていない私を恐がったみたい。江戸時代に殿様が通る時や戦前に天皇が通る時はこんな感じだったのですかね。

キンタマを出して歩いている時は素通りしてくれる人たちも、マスクをしないで咳をするような人間は許してくれない。通報されかねません。

あの時よりさらに咳が出やすいので、用意してあったマスクを使うしかないですが、マスクをしていたところで咳はまずい。しばらくは外に出られません。隔離というより、狂った世界からの避難です。

私はこうやって風邪をひいたことを公言できますが、風邪をひいたと言うことさえもできない人たちもいそうです。

近所のコンビニに行くだけでもマスクをする人たちは、家に帰ったら、そのマスクを捨てているわけですよね。そんなことをしていたらマスクが足りなくなるに決まってます。

現実には、衛生のためのものなのに何日間も同じマスクを使い回している人々が激増しています。コロナウイルスではないにしても、病原体が増殖している可能性があります。それでも唾液を飛ばさない効果はありますけど、おかしくね?

では、なんのためにマスクをしているのかと言えば後ろ指を差されないためでしょう。ナチス式敬礼をしないとゲシュタポがやってくるので、ナチス式敬礼をする人たちと同じ。

その結果、予防のためにはほとんど役に立たないと言われてもマスクをし、マスクをすることが社会の規範となり、マスク求めて右往左往する人々はすでに異常な心理になっています。こういう人たちが恐い。

 

 

病院に行く意味がない

 

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風邪をひいたと言うと、「病院に行け」「検査しろ」という反応が予想されますので、先手を打ってここに書いておきますが、行くわけないでしょ。

その理由はざっと4点(完全な自主隔離ができることが前提です)。

 

1)検査の精度が低過ぎる

どこの国でも、検査で陰性だったのに発症した人、陽性から陰性になって再陽性になった人が出ていて、検査することに意義が感じられません。これなら私の「勘による自己診断」と一緒です。どこまで感染が広がっているのかを知るためにデータが必要であるなら、ランダムに1,000人ほどピックアップして検査すればわかることです。「日本は検査をしないために感染者が街に溢れている」と思いたがる人たちにとっては残念なことには、現状の日本において、ランダムに1,000人をピックアップして陽性が出る可能性は限りなく低いですから、やるだけ無駄であり、その分、自覚症状のある人、感染者と接触した人を検査した方がいい(疑問がある方は下の方に書いている陽性率の各国比較をしてみるとよいかと思います。電卓があれば誰でもできます)。

 

2)院内感染の可能性がある

これまたどこの国でも院内感染が起きていて、完全に防ぐのは無理。風邪をひいて病院に行ってコロナウイルスをもらってくるのでは土産が豪華すぎます。病院に行けばドアノブを触ることもあるし、エレベーターのボタンを押すこともあります。待合室のシートに触れるし、スリッパを使うこともあります。それによって感染する可能性は低いですが、あきらかに家の方が安全。

 

3)治療法がない

感染している場合、入院費はタダになるにせよ、入院したところでせいぜい体力が落ちないように点滴を打ったり、咳止めをしたりするくらいです。モルヒネをガンガン打ってくれるならいいですけど、健康体である限り、病院食より、家で焼肉を食っていた方が抵抗力がつきそうです。私は自主隔離をする前に肉を買ってきました。食欲は少しも落ちてないのでそろそろ食います。

 

 

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