松沢呉一のビバノン・ライフ

納豆とヨーグルトと『マゾヒストたち』の買い占めは許容範囲—ウイルスとウイルス恐怖症に覆われる世界[7]-(松沢呉一)

和田アキ子の備蓄癖と私の備蓄癖はおそらく近い—ウイルスとウイルス恐怖症に覆われる世界[6]の続きです。

 

 

本を2冊持ち歩く癖

 

vivanon_sentence前回見た備蓄癖よりも、本をつねに2冊持ち歩く習慣の方が「日常の不安とその表面的安心」をわかりやすく説明できるかもしれない。

最近はそうでもなくなってますけど、前は必ず 2冊持ち歩いてました。雑誌と文庫とか。単行本と新書とか。そうする人たちはそれなりにいると思いますが、今はスマホがあるので、仲間は減っているかもしれない。

1冊だと、「読み終えたらどうしよう」と不安になるので2冊持ち歩く。実際には電車の中では寝ていたり、ボーッとしていたり、中吊り広告を見ていたり、人を観察しているだけで時間が潰れるので、本を読まないことも多いし、読み終えたら買えばいいのですが、それでも2冊持ち歩く。大雪で半日電車に閉じ込められても暇を潰せます。

私は忘れ物が多いので、忘れることもあるわけです。そうすると、慌てて本屋に行ってなんか買う。この場合は1冊でもいい。買うと安心して電車の中で読まずに済みます。本が欲しいのではなく、安心感が欲しくて持ち歩くのです。

現に安心感が得られるのですから、「意味がない」と言われると、「人間の機微がわからない鈍感な人間だな」と軽蔑したくなります。

※Togetter「読まない本を持ち歩く者は心の友である」より。同類がいっぱいいますけど、これが強迫観念だとしている人は見当たらない。しかし、少なくとも私については強迫観念です。そう確信している理由はそのうち出てきます。

 

 

納豆の次はエチオピア料理

 

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いろんな解釈があるのだと思うのですが、私にとっての強迫観念は不安を解消するための表面的、一時的な方法と言えます。現に安心しますから、私個人の範囲に留まり、暴走を始めない限りはその衝動に従います。買い占めが始まったら、私個人の範囲に留まらないので、参加しません。

ずっとそうなので、デマが流れた時にブツを慌てて買うことはなく、衝動をセープもできますが、ふだんはその傾向のない人たちは急にそこに放り込まれて慌てるのでしょう。そうなるとセーブができなくなります。おかしくなっている自分を客体化できない。だからこの機会に自分の異常性を自覚して、強迫観念とうまくつきあい、利用すべし。

そこを自覚しないから、次から次と踊らされ続けます。マスクを買い溜めて、トイレットペーパーを買い溜めて、ティッシュペーパーを買い溜めて、消毒用アルコールを買い溜めて、米を買い溜めて、納豆を買い溜めて。

 

 

 

茨城県で感染者が出ていないのは納豆菌のおかげに決まってますよ。

中国との関係が強く、人的な移動も多いのに、エチオピアでも13日に初の感染者が見つかったばかりです。その第一号は外からやってきた日本人であり、エチオピア人の感染はまだ見つかってないので、エチオピア料理も抜群に効きます。酸っぱいのがいいんだと思うな。酢も殺菌効果がありますしね。私は酢も買い溜めしてあります。酢を飲んでいるとウイルス対策になる上に体が柔らかくなります。

本気にするなよ。

 

 

納豆までをデマ扱いにする必要はない

 

vivanon_sentenceでも、これはほっといていいんじゃないですかね。「あれダメ、これダメ」と厳密にやりすぎるのも社会の緊張を高めてパニックを生み出しやすくなります。効果が期待できないのに「マスクをしよう」という呼びかけはよくて、納豆は「効果がない」と決めつけるのはおかしいでしょう。

品切れになって、ふだん納豆を食べている人が食べられなくなるのはまずいとは言え、トイレットペーパーほどの問題はないので、安心感を得るために買い占める対象が拡散して、多数の人にとってなくてはならないものの買い占めが緩和された方がいいようにも思います。買う人は全部買いかねないので緩和にならないかもしれないけれど。

 

 

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