日露戦争のことばかりで下ネタは出てこない—ベルツの日記[1]–(松沢呉一)
ベルツ花子著『欧洲大戦当時の独逸』シリーズの姉妹編です。
『ベルツの日記』の一般的読みどころ
トク・ベルツ編『ベルツの日記』についてまとめておきたいと思いつつ、すぐには着手できませんでした。期待していた内容と違っていたためです。
期待していなかったところで注目した記述もあったのですが、この本の一般的な価値とは違うところでの興味ですから、それだけ書いても誤解されます。この本の一般的な価値をまず書いておいた方がいいのですが、そこが面倒なのです。私の理解が乏しいので。
『ベルツの日記』は、29年に及ぶ日本での滞在中に書いた日記を息子の徳之助が編集したものであり、自身の生活を主体としたベルツ花子著『欧洲大戦当時の独逸』とは全然違うテイストの本です。
「今日は誰に会った」「どこに行った」といった日記らしい記述はもちろん多数ありますが、文章量で言うと、多くを占めるのは時事評論めいたものなのです。「進歩党がどうした」「支那の状況はこうなっている」「ドイツの議会ではこんなことがあった」といった話。
とくに日露戦争時は連日戦況について多くを割いていて、下巻のほとんどはそのことです。こここそが一般的に言えば価値のある部分です。日本の報道、ドイツ経由で知るヨーロッパの報道に加えて、日本の政治家、日本にいる各国の外交官などから聞いた話を踏まえて論じていきます。おそらく「知られざる」といった話が満載されているのでしょうが、私は戦史に弱いので、そこは深入りしにくい。
政治家が書いた日記だったらこうなるのは当然として、医学者であるベルツの日記で大半が時事ネタ、とくに戦争のネタだとは思ってませんでした。
その流れで、「今日は誰に会った」「誰を診察した」という話も非常に重要で、西郷隆盛、伊藤博文、大隈重信、桂太郎らの政治家や九代目市川団十郎ら文化人らが次々と登場し、彼らやその家族がどういう病気をもっていて、何で死んだのか、どういう人となりだったのかまでがわかるという意味で、得難い歴史的資料です。病気から見る日本の政治史。
とくに皇室には絶大な信頼を得ていて、医師の立場から、通常は入り込めないところに入り込み、踏み込めない会話もするわけですから、その点でも興味が尽きない内容となっております。
と一般的な価値にまず触れておきました。
日記が書き残された時期
ベルツは、出遅れた国、日本だから活躍できたのではなく、おそらく本国ドイツにいても名をなした人だったろうことがこれを読むとよくわかります。人類学、民俗学、考古学、美術、政治などあらゆるジャンルに対する好奇心が旺盛で、探究心によってそれらを自分のものにしていきます。
よく知られる日本の温泉についての近代的評価をなしたこともこの本から読み取れて、伊香保や草津に出かけていった時の日記もあります。
しかし、それを読み取ることはできても、内容に具体的に踏み込むことはあまりない。横浜の貝塚を発掘したり、学会に出たりしたことはわかっても、その内容まではよくわからないのです。たいてい日記はそういうものですが。
病気自体についての記述もあまり出てきません。登場する人物たちがどんな病気だったのかは書かれているのですが、花子が書いていたコレラによる屍体累々みたいな話はまったく出てきません。コレラについては軽く出てきただけ。
感染症では結核がもっとも出てきたかと思いますが、これも「誰某が結核でもう長くはないだろう」みたいな記述が出てくるだけです。天然痘と腸チフス、癩病もそれぞれ一回か二回軽く出てくるだけです。
あとは娘のウタが流行性感冒に罹って肺炎になったという話が出てきます。インフルエンザです。この時は高熱を出しながらも死なずに済んでます。
コレラの記述がほとんどないことは日記の配分とも関係していそうです。
(残り 1599文字/全文: 3207文字)
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