松沢呉一のビバノン・ライフ

在宅勤務で性風俗を利用する人たち・在宅勤務で壊れる人たち—コロナの時代に流行るもの・廃るもの[15]-(松沢呉一)

町のクリニックも多数休診に—コロナの時代に流行るもの・廃るもの[14]」の続きです。

 

 

想田和弘監督に感応する

 

vivanon_sentenceスーパーやコンビニばかりでなく、銭湯でも受付にアクリル板を設置したところがあります。そこまでする必要があるのかどうか疑問ですけど、文句をつけてくる人もいるんでしょうから、営業を続けるためにはやれることは全部やるとよいかと思います。

昨日、コンビニに行ったら、マスクをしたおばちゃんがビニールシールドをわざわざめくって、顔を出してお釣りをくれました。せっかくの予防策が台無しですけど、特別サービスですから、ありがたく気持ちをちょうだいしました。

4月23日、Facebookに以下を投稿しました

 

 

 

想田監督の言葉で私がもっとも共感したのはここ。

「いくらテクノロジーが発達しても、じかに会ったり集まったりすることへの我々の希求が消えることはない。『感応』し合うことは人間の根源的な欲求です。今回のコロナ危機によって、あらためて皆そのことに気づいたんじゃないでしょうか」

これと同じことを先日とあるバーで私も語ってました。文脈は違って、「せっかく在宅勤務になったのに、なぜ人はそれを台無しにして飲み屋に行ったり、デリヘルを呼んだりするのか」について話していたのです。

あるいは「酒を飲まないのに、どうして私はその時バーにいたのか」という疑問についての答えです。路面店のバーの、開けっ放しにしたドアの横ですから半分外にいたようなもので、そんなに危険ではありません。

「こんな時なのに」ではなく、「こんな時だから」、人は人の顔を見て話をし、感応したい。その間に入り込むのがコロナウイルスのいやらしいところですが、その対策がまた人と人とを分断する。それにどう抵抗して行くのかがテーマです。

この話はそのうち「ビバノン」で展開していきますが、「仮設の映画館」は想田監督らのひとつの解答。生身の人が集まれるようになるまでの仮の解答です。

 

仮設の映画館についての元記事はこちらです

 

 

在宅勤務になっても性風俗を利用する人々

 

vivanon_sentence投稿内にある、とあるバーで話していたことは、ここにあるように「せっかく在宅勤務になったのに、なぜ人はそれを台無しにして飲み屋に行ったり、デリヘルを呼んだりするのか」という話題です。

基礎疾患があって、年齢的にも死にやすいのに、どうして志村けんは銀座のクラブに行っていたのか。

高井崇志議員は、政治家生命を断たれかねないのに、なぜおっぱいパブに行ったのか。

性風俗では客数が落ちているとは言え、営業をしていると、なお客はいるのです。しかも、在宅勤務になった人が利用していることがあるのも事実です。

なんでもかんでも「自粛しろ」と叩く人たちにとっては、これもただただ叩く対象でしょう。だから、感染しても、こういった行為で感染したことを言わない人たちが出てきてしまって、クラスターをとらえることができなくなります。

これはエロに限った話ではなく、そのバーでもより普遍的な人間の衝動についてまで話していました。私自身がなぜそこにいたのかって話でもあります。導入は違いますが、想田監督が言いたいこととかなりまで重なっていたと思います。

キャバクラやデリヘルでは、表面的な性欲みたいなものが強く意識されてしまうため、その大元にあるものが見えなくなっていて、COVID-19によって得にくくなって初めて、その向こうにあるものがくっきりと捉えられるようになっているような感触が私にはあります。

「触れ合い」「温もり」「癒し」みたいなダッサい言葉で言い表されるものはもちろんそうですけど、「共感」「共振」といった言葉で言い表されるもの、さらには「摩擦」「衝突」「対立」といった言葉で言い表されるものを含めて、ここでは想田監督に倣って「感応」という言葉を使います。性風俗では「官能」が強いわけですが、これも広く「感応」です。

※休業しているソープランド

 

 

在宅勤務になって見る見る壊れていく人たち

 

vivanon_sentence在宅勤務になってなお街に繰り出して飲み屋に行ったり、性風俗を利用したりする人たちにもいろいろいて、一律にはその内面を決めつけられません。

 

 

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