松沢呉一のビバノン・ライフ

大きな声では言いにくい出張ホスト事情—コロナの時代に流行るもの・廃るもの[18]-(松沢呉一)

感応が奪われた時に人々がとる行動—コロナの時代に流行るもの・廃るもの[17]」の続きです。

 

 

性風俗や水商売は尊い仕事

 

vivanon_sentenceほんのさわりを語っていただけですが、ここまで書いてきたような話をとあるバーでしていたわけです。

この時の結論はいかに音楽や演劇、性風俗や水商売は尊い存在であるのかです。人が壊れないために必要なのです。その必要性が今ほど理解しやすいことはなかなかない。

よく銀座や六本木のクラブに来て仕事の話をする客に合わせるためにホステスさんたちは日経新聞を読むなんて話があったりします。ソープ嬢でもこういうのがいます。

そういう場がただ酒を飲むため、性欲を満たすために必要とされているわけではないことの証明です。

会社でも自分を認めてくれる人がいない。いても感応が足りない。家族に言っても聞いてくれない。誰かに「感応」してもらいたい。

この意味では自己承認願望を満たすとも言えますが、必ずしも共感である必要はなくて、社内では視野が狭くなるので、今やっている企画の感想を求めたり、家庭内の相談をする人たちもいます。

水商売や性風俗は「感応」を提供する仕事と言ってもいい。こういう仕事を感情労働と呼びますが、感応労働と呼んでもいいでしょう。

殺人事件があると、「あの犯人は私のところに来てくれれば人を殺さなくて済んだのに」なんて言う風俗嬢がいます。そんな面倒な客はイヤだろうと思うのですが、こじれた人間を相手にするのが得意なのがいるのです。

それとリンクするように、大きな犯罪をやらかした人間はその前や後で歓楽街に足を踏み入れる傾向があります。当面シャバには出られないため、楽しんでおきたいのと同時に、不安を解消したいのだと思います。

事件があると、昔は遊廓や赤線で警察は聞き込みをしました。闇の女たちでも、街娼たちが警察に情報提供をする代わりに見逃してもらうという話が出てきます。ここでは協力関係が成立する。

そういう仕事です。その仕事も、その客になることも難しくなっています。

※この写真と下の写真についての説明はあとで出てきます。

 

 

奪われた「感応」を奪い返そうとする人々

 

vivanon_sentenceどういう場面で感応するのかは人それぞれであり、「感応」が欠落した今、自身が「感応」したい場面を認識しやすくなっていようかと思います。

私が欲している「感応」はここまで書いてきたように見ず知らずの人とすれ違う一瞬に生ずる「感応」だったりするのですが、それと同時に、性欲が残り少ないのに、最近、ヘルスに行きたいとか、これまでだって望んで行ったことのないキャバクラに行きたいと思います。性欲を満たしたいのではなく、「感応」を得たいのです。

店舗型のヘルスでは対策がとりにくいですけど、ソープランドだと窓が開けられる部屋もあります。ベランダに出られるラブホもありますから、デリヘルだったら対策はとれます。チューするためのアクリル板ももっていきます。コロナフリー性行動の実践です。

そういうところで、互いに「どうすれば感染しないのか」を考え、話し合いながら、エロいことをしたい。そういう共同作業をして「感応」し合いたい。エロくならなくても、この状況での「感応」は相当に心を動かされるはず。

というファンタジーが私の中には生じています。障害を超えて「感応」することの快。ロミオとジュリエット的な。

年寄りの部類に入りつつある私はこういう場合でも「感染しない」「感染させない」工夫はしますし、それ自体が刺激になると考えますけど、「感染しても生きていくには感応が必要」と考える人もいるでしょう。「感応なしで生きていくなら感染して死んだ方がまし」という人だっているでしょう。志村けんもそうだったかもしれない。なんも考えていなかった可能性もありますが。

そのくらい「感応」は大事。大事な「感応」を得るために私はヘルスに行ってチンコを出したい。

 

 

出張ホストの客になる女たち

 

vivanon_sentenceそういう話をすると、「女はどうするんだ。男の都合しか考えていない」と言い出すのがよくいます。こういう人たちが見ようとしない現実が存在することを明らかにするために、とっておきの話をしましょう。出すタイミングを逃していただけですが。

 

 

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