松沢呉一のビバノン・ライフ

コルディッツ・コックが飛んだ日—ナチスの時代とコロナの時代[1]-(松沢呉一)

マスロックとコルディッツ・グライダー—ナチスの時代とコロナの時代[序章]」の続きです。

 

 

 

コルディッツ・コックとは?

 

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前回見たように、世界のマスロックを聴いているうちにコルディッツ・コック(Colditz Cock)に行きつきました。

コルディッツは独ザクセン州にある町の名前です。12世紀に建造されたコルディッツ城は、第二次世界大戦中、ナチスの捕虜収容所となります。コルディッツ・コックはここから脱出するために捕虜の英兵たちによって計画されたグライダーでした。崖の上に建つコルディッツ城は脱出できにくいために収容所にされたのですが、それを逆手にとったアイデアです。

オーストラリアのコルディッツ・グライダーを聴くまで、こんなワクワクする話を全然知りませんでした。まだまだナチスに関する調べが甘い。

コルディッツ・コックはナチスに気づかれないように屋根裏部屋を改造した作業所で密かに作られ、バスタブの重りを落とす勢いで短い滑走路から飛び出す計画でした。グライダーの各パーツはほとんど完成していて、あとは捕虜殺害に至った際に組み立てて実行する予定のまま終戦を迎えます。

2人乗りですから、多数の人がこれで助かるのではなく、自分らを殺害する命令が出た時に、迫ってきている連合国軍に助けを求めるための伝令を目的にしたものであって、実行する機会が来なかったのは幸運だったと言えますが、そもそも実現する可能性が低いことをわかっていながら計画したのです。

※『Flight from Colditz: Would the Second World War’s Most Audacious Escape Plan Have Succeeded?』。著者であるアンソニー・ホスキンス(Anthony Hoskins)は、下に埋め込んだドキュメンタリーで描かれているプロジェクトのリーダー。

 

 

コルディッツ・コックを撮った、たった一枚の写真

 

vivanon_sentence米人特派員リー・カールソン(Lee Carson)が撮った写真が一点だけ残っています。

 

 

Wikipediaより

 

これは解放後にパーツを組み立てて完成させた状態です。よく見ると、機体に模様がついています。シーツを貼っているのです。シーツなんてもんがあっただけ、捕虜収容所は強制収容所より環境がいいことがわかります。自主管理部分も多かったでしょう。だから部品を調達することもできました。

 

 

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