松沢呉一のビバノン・ライフ

伊藤博文は芸者が好きと語るベルツも芸者が好き—ベルツの日記[2]–(松沢呉一)

日露戦争のことばかりで下ネタは出てこない—ベルツの日記[1]」の続きです。

 

 

 

開戦しないと真実のばか

 

vivanon_sentence私はベルツ花子著『欧洲大戦当時の独逸』は、わかりにくい「太平洋戦争に反対する書」なのではないかとの見方を提示したわけですが、『ベルツの日記』でそこに通じるような記述は見当たりませんでした。むしろ、日露戦争においては、開戦前から、日本が開戦しないと「真実のばかだとののしられても仕方がない」と書き、一貫して日本の肩を持ち、なかなかロシアを攻略できないことで苛ついていることを露にしており、非戦派ではありえません。

ただ、日露戦争の頃には日本国内で反独の空気が強まっていたことには心を痛めていて、日独が対戦することは望んでいなかったでしょう。花子は第一次大戦の悲惨さを体験してあれを書いているわけで、自身は直接戦争のむごさを体験していないベルツとは違っていても当然かとも思います。夫婦の考え方が同じってこともないですし。

実際、ベルツが描く日露戦争は、欧州戦争以降の戦争とは大きく様相が違っています。んなことは常識ですけど、その記述からいちいち実感できます。

日本としては初めての海軍が活躍する戦争だったため、機雷などの兵器を経験することになるわけですが、あとはせいぜい大砲と銃による戦闘であり、抜刀隊結成の話まで出ていたことにベルツはその効果を疑ってます。白兵戦においては刃物でトドメを刺すこともあったでしょうが、銃剣の方が使いやすく、日本刀に戦時の実効性はなく、精神鼓舞のための話題でしょう。

とくに日本軍は捕虜に対しても丁重な扱いをしたとベルツは記述していますし、ロシアも日本の将校の遺体を丁重に葬ったことを書いています。日本もジュネーブ条約に加盟していましたから、ルールを遵守しただけですが、守らない国もあったのだろうと思えます。

民間の船を攻撃したことが大きな問題になったことも書いていて、戦争のルールはそれなりには守られていたわけです。

また、日本政府の公表は比較的正確であるとの評価を受けていたことも記述。負けたことは負けたと書く。もちろん、限界はあって、ベルツ自身、政府の情報を時に疑っていますし、情報が漏れないことを秘密主義と表現しています。

ベルツは日本国内の情報だけでなく、ドイツ経由の情報にも目を通しているので、この辺の評価は事実だろうと思います。

※酒井修一編『日露戦争写真集

 

 

ベルツは芸者がお好きだったよう

 

vivanon_sentenceある段階までは坂本龍馬の存在は知られておらず、ベルツも墓を見るまでは知らず、花子に教えられています。といった点においても、「そうだったのか」と思わせる記述はあるのですけど、なにしろ私は下世話な話題、卑近な話題に食いつきます。

政治や戦争の話より、「首相の誰某の愛人が病気になったので往診した」「大臣の誰某は花柳病だった」みたいな話が出てこないかと期待していたのですが、出てきませんでした。編者のあとがきに掲載された伊藤博文の追悼文に芸者が好きだったとのエピソードを書いているだけです。

政治家の愛人という話ではないですが、芸者は本書に頻繁に登場します。ここは『ベルツの日記』の潤いのポイント。マラソンの給水所のような。

当時、会合をするとなれば芸者が登場、祝いがあるとなれば芸者が登場。ベルツ自身、芸者は相当に好きだったようで、美人芸者に「くびったけ」といった表現をしています。深い仲の芸者がいたかどうかまでは不明。

全部抜き出すとすごい量なので、当時の芸者がどういう存在であったのかがわかるエピソードをいくつか挙げておきます(花井お梅のエピソードは出てきませんでした)。

 

 

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