松沢呉一のビバノン・ライフ

全裸で往来を歩いていた人がいた明治の温泉地—ベルツの日記[3]–(松沢呉一)

伊藤博文は芸者が好きと語るベルツも芸者が好き—ベルツの日記[2]」の続きです。

 

 

 

温泉では全裸で往来を歩いていた

 

vivanon_sentence草津温泉についてはこんな記述もあります。

 

 

おまけに西洋人を驚かせるのは、まるでエデンの園のように羞恥心のないことだ! ここ数年来は、男女別の入浴が行われるようになり、今では男女共に素裸で往来を歩くものを、ほとんど見かけないが、昔はそれが当り前のことだった。

なにしろ、日本では、浴場なるものは、中世ドイツの鉱泉浴場と同様に、一種の社交機関なのである。当地でも昔は、老若、男女を問わず、いっしょに入浴したものだった。

 

 

明治37年(1904)の記述です。こういう記述は決して見逃しません。

この頃には「ほとんど見かけない」とあって、少しはあったよう。素っ裸と言っても褌や腰巻きをしていたか、全裸の上に浴衣を着ていたんじゃないかと思うのですが、全体が温泉でできているような場所だと、脱着が面倒で、手拭ひとつで移動することもあったのかも。

 

 

煙草と酒

 

vivanon_sentence上下巻の長い日記ですから、シモの話だけじゃなく、私の興味を惹いたことは他にもあります。

たとえば扇子を日本の軍人たちが使っていることをヨーロッパの人たちは奇異に感じるといったエピソードが出てきます。扇子は女のものというイメージがあるためらしい。

女の喫煙についてもこんな記述がありました。日露戦争の戦費捻出からの流れです。

 

 

タバコの多くは非常に悪くなり、そうでないものは非常に高くなった。さらに女性の喫煙が、はなはだしく減少した(ヨーロッパと正反対に)。以前は、ほとんどすべての婦人がきせるを持っていたが、今では、喫煙はもはや礼儀にかなっていない。

 

 

明治に入って紙巻き煙草が日本でも浸透し、民間の煙草会社が大いに宣伝を繰り広げますが、明治37年(1904)に煙草は専売制になって質が悪化したことをベルツは指摘しています。

煙管から紙巻き煙草に移行していくとともに女の喫煙は忌避されるようになっていきます。ちょうど農業、漁業、商業の場で主人と主婦が分業しつつ、同じ領域の仕事をしていた時期から、男は外で働き、女は家で働く完全分業になっていったこととリンクしそうです。

古い世代は煙管を吸わなくなったわけではないですが、日本では女が吸うのはいいこととは見なされなくなっていった頃から、ヨーロッパでは社会進出を果たすようになっていって、喫煙は最先端の女のイメージになっていきます

これに続けて酒の話を書いているのですが、ここも意外に思いました。

 

 

 

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