松沢呉一のビバノン・ライフ

自制できないドイツ人と気味が悪いくらい感情を抑える日本人—ベルツの日記[4]–(松沢呉一)

全裸で往来を歩いていた人がいた明治の温泉地—ベルツの日記[3]」の続きです。

 

 

自制の強い日本人・自制できないドイツ人

 

vivanon_sentence

ここまで見てきたように、ベルツは日本人の特性について彼なりの考察をしているのですが、同時にドイツ人の特性についてもことあるごとに書いています。ほとんどの場合、ドイツ人については悪い評価です。

時折日本に対しても辛辣なことを書いていますが、日本人の特性はしばしば肯定的に書かれていて、ドイツ人、あるいはヨーロッパの人々に、手本にした方がいいとまで書いています。対してドイツ人については、個人に対する評価はともかく、総体として褒めているところを見出せない。

自国についてのいい点はことさら書く必要がないということもありましょうし、その特性のいくつかは自身も該当し、よくわかっていることであるが故に、かつ国の外に出ているが故にその特性が際立って見えたのだろうと思います。

しばしば人は国の外に出て、母国の人に向けて今いる国を評する場合は肯定的に語りたがり、母国を評する時は辛辣になります。客観的に見られるというだけでなく、そこから抜けている自分の優越性を誇示したがるものであり、この日記も、日本人ではなく、ドイツ人が読むことを前提にしているため、その傾向はありそうです。

その辺は割り引く必要がありますし、日本人を褒めている点も、ドイツとの対比で褒めているに過ぎず、かつ理解しきれていないがために好意的に受け取っている点もあるようにも見えます。

どちらも注意深く見ていくとしましょう。

 

 

夜、ドイツ公使館で、盛大な宴会。ビスマルクの姪にあたるフォン・コッツェ夫人を食卓に案内した。夫人は、特にドイツ人なるものが、高慢ちきな態度と卑屈のあいだの中道をわきまえない点に関して、きわめて妥当な意見を二、三述べた。事実、この点は、自分もつねづね嘆いていたところである。すなわち、不平やねたみを有せず、他人をも快く容れる寛大さをもち、沈着で、しかも自覚せる人士に乏しいのだ。

 

 

回りくどい言い方ですが、ドイツ人は高慢ちきで卑屈であり、不平や妬みが多く、他人を受け入れる寛大さに乏しいのだと。

※エルヴィン・ベルツ著『ベルツ日本文化論集』。東海大学出版会から、こんな本が出ていることにやっと気づきました。この本の方が日記よりも私の興味に合致することが書かれていそうです。

 

 

汽車を待ち切れないベルツ

 

vivanon_sentenceドイツ人は自制ができず、不平が多いという点をベルツは繰り返し指摘しているのですが、これについては時に自身のこととして書いています。つまり、「ドイツ人は自制ができない」とすることで、自分が自制できることを確認して優越感に浸っているのではなく、「オレも自制ができない」と吐露した上で反省しているのです。

長いですが、そのことがわかりやすいエピソードです。

 

 

昨日、妻と帰京。汽車がひどく延着した。汽車を待ちながら、毎度の如く自分は、この国の旅客の態度を、同じ事情のもとにあるドイツの停車場におけるそれと、比較せざるを得なかった。

ドイツでは、このような場合に、誰もが遅延や混乱をののしる。「だらしがないぞ」、「これでも、やっているのか」などの言葉が、常時のことである。日本では—英、米でも同様だが—黙って待つか、他のことをしゃべっている。なるほど、時計を見上げて「なんて退屈だろう」といったり、「まだ汽車は来ないのか?」とため息をつく者はあるが、しかし口汚くののしったり、悪態をつくのを聞いたことは決してない。

ここで、ある米国の雑誌に載っていた記事を思い出した—「ドイツ人に接して、とくに外国人の目に立つのは、かれらドイツ人が自制に欠けている点である。かれらの念頭にうかんだこと、すなわち瞬間の感情を、ことごとく言葉に表し、しかもそれを、しばしば激越な調子でやるのだ。これは非常な欠点である」と。この文を読んだとき、自分自身は、全く図星を指されたように感じた。なにしろ自身が、かかるドイツ人の一人であるからだ。そしてあたかも昨夕、汽車を待つおり、自身の不満を表に出さないよう、特に自制しなければならなかった。妻はもちろん、他の日本人一行と同様——一組の英人夫婦もそうだったが——しごく穏やかに落ち着き払っていた。自分が膨れているのを笑って「怒ったって、いったいなんの役に立ちます? それだからといって、汽車は決して早くは参りませんよ。来るまでは、どうしてもお待ちにならねばならないのです。子供なら、どうにもならないことに、腹を立ててもわかりますが、大人では、どうかと思います」と。なるほど、妻のいうとおりではある。がしかし、自己の顔色や言葉を抑制することを、若いときから教わらないのは、遺憾ながら、われわれの教育の根本的な欠陥なのだ。こうしてわれわれは、自己の感情を爆発的に吐露しようとする子供の欲求を、そのまま持ち続けている。

 

 

短気は日本人にもいくらでもいますから、個人の問題とも言えますが、ベルツの記述を見ると、どうもドイツ人全体の傾向のようです。

今も新幹線や飛行機が運休した時は駅員に怒鳴っている人たちを見ますけど、電車がちょっと遅れたくらいで怒鳴る人はあんまりいないでしょう。腹を立ててどうにかなるんだったら怒りますけど、花子が言うように怒ってどうになるものでもなし。

ジッとしていられない私もそういう時はイライラしますが、とっとと駅を出て歩きます。歩いているうちに電車が動き出して、「なんだよ」ということになりがちですが、遅れてもイライラしなくていい方法を選択。結果、3時間歩き続けたりして。

 

 

next_vivanon

(残り 1559文字/全文: 3949文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ