松沢呉一のビバノン・ライフ

個人主義が薄いドイツと個人主義がない日本—ベルツの日記[5]–(松沢呉一)

自制できないドイツ人と気味が悪いくらい感情を抑える日本人—ベルツの日記[4]」の続きです。

 

 

 

ドイツ人は感情的で軽卒

 

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それこそベルツの功績もあって、開国以降の日本にとって、ドイツの存在は大きく、親しみもあるのですが、「ナチス・シリーズ」を書いていく過程で私はあんまりドイツ人のことをわかってなかったことに気づきます。堅物で几帳面、冷静で知的なイメージと現実とは大きく違う。

それについてはベルツの記述でも裏づけられます。

 

 

十二月九日の議会で、フォルマーの質問にこたえて、ビューローの行なった演説の原文が到着した。かつて自分の口から出たときは、悪意に解され、それがためドイツ人の恥さらしのようにののしられたあの言葉と、全く同一の言葉が、今やビューローの口から、ドイツ国民に向って公に発せられたのをみて、奇妙な感に打たれた。ビューローは述べた。「他人の行為にいちいち賛否の態度をとり、しかもこれを公然と表示するのは、ドイツ人の不幸な病癖である」と。さらに「南阿戦争のときには、主観的な正邪感を、国家の利害と混同し、これがため邪路に踏み込んでしまった」と。

 

 

ビューローはこの時の帝国宰相(首相)であったベルンハルト・フォン・ビューロー(Bernhard Heinrich Karl Martin von Bülow)。フォルマーも政治家でしょうが、検索してもわからず。

南阿戦争は南アフリカ戦争。一般にはボーア戦争。第一次ボーア戦争は1880年から1881年。第二次ボーア戦争は1899年から1902年。英国オランダからの移民であるアフリカーナーとの闘いで、オランダの背後にドイツがいました。この時のドイツの何を指した表現かは不明。

慎重に考えて意見を言うのでなく、一時の個人的感情で言わなくていいことを言ってしまって、あとに退けなくなるのがドイツ人だとのベルツと同じ主張を時の首相も演説したと。ドイツ人は軽卒で感情的なのです。SNSで何も考えずに、口出しする必要もないことにまで反応してしまう人たちのような国民性。

以下は、知人から、ドイツ人の政治的無能さで国際社会から孤立していると書かれていた手紙をベルツが受けとった時の記述。

 

 

とにかく、不幸なのは、本国に公平な人物の少いことだ。自惚れが、ドイツ国民の骨の髄までしみこんでいて、公平な人物が外国から帰ってくると、その人物を評して、偏見に満ちていると称するのだ。善良なドイツ人となることは、まったくむつかしい。

 

 

自惚れが強く、批判に対して素直には受け取れないって指摘です。

 

 

最近の『テーグリッへ・ルンドシャウ』紙によると、総督ゲッツェン伯爵は東アフリカに関して文字どおりこう述べている「われわれドイツの役人や軍人には、先天的に規則ずくめでやる傾向があることを、われわれは文句なしに認めよう」と。このような人物の口から出た、含蓄のある言葉だ。これを大書して、ドイツ国内のあらゆる役所の壁に掲げたらよかろう。(略)

他人の事がらに干渉するわれわれドイツ人の病癖に関する最近のビューローの演説と、ゲッツェン伯のこの言葉は喜ばしい徴候だ。

 

 

個人が個人の基準で判断するのではなく、規則に反しているかどうかを重んじる。ここは多くの日本人と同じです。

 

 

中央左がベルツ。

後ろの看板にアルファベットで文字が書かれているようですが、拡大しても読めず。

 

 

ドイツ人は個人主義が薄い国

 

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E.A.コーエン著『強制収容所における人間行動』のシリーズで詳述したように、あの本は主として「なぜドイツ人たちはナチスを支持していったのか」を明らかにする目的で書かれたものです。そこで書かれていたことと、ベルツの記述は合致する部分があります。

私自身長らく誤解していたことがあります。ドイツは個人主義者が多いのだと。

この誤解は今から30年以上前に始まります。私は20代半ばだったと思います。ドイツで暮らしていた写真家の橋口譲二さんに聞いた話です。

「ドイツではドラッグをやっても逮捕して矯正させるのではなく、個人が自身でやめるようになるまで放置をし、社会はそれをサポートする。だから、そのまま死んでしまう人たちも多い。日本のようにかまってくれない社会だ」

 

 

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