松沢呉一のビバノン・ライフ

フリッツ・ハーバーとアインシュタイン—祖国に裏切られたユダヤ人化学者[1]-(松沢呉一)

 

ノーベル賞受賞のリヒャルト・ヴィルシュテッターが開発した防毒マスク

 

vivanon_sentenceスペイン風邪流行時の「マスクをしている人は感染しやすい」説—マスク・ファシズム[1]に防毒マスクが出てきました。

防毒マスクは何名かがほとんど同時に思いついていて、1914年、米国のギャレット・モーガン(Garrett Morgan)とカナダのクリュニー・マクファーソン(Cluny MacPherson)がともに発明者となっています。

また、同時期にドイツ人リヒャルト・ヴィルシュテッター(Richard Martin Willstätter)も開発に携わっています。

なぜ同じ時期かと言えば、第一次世界大戦で毒ガス兵器が使用されたためであり、リヒャルト・ヴィルシュテッターの関与は、殺傷力のある毒ガス兵器を世界で初めて使ったドイツ軍を守るためでした。

リヒャルト・ヴィルシュテッターは、1915年にノーベル化学賞を受賞。防毒マスクでノーベル賞を受賞したのではなく、受賞内容クロロフィル(葉緑素)など植物組織や色素の研究です。

リヒャルト・ヴィルシュテッターは1872年生まれ。ミュンヘン大学を卒業し、同大学で講師となり、チューリッヒ工科大学の教授に就任しますが、第一次世界大戦で研究が中断され、その際に防毒マスクを開発しています。

この時の技術は終戦後、工場の煙突から出る塵埃を除去する技術となり、環境汚染を低減させることになります。

リヒャルト・ヴィルシュテッターは、終戦後、ミュンヘン大学の教授となりますが、1924年、退任。彼はユダヤ人でした。ユダヤ人排斥の動きが激しくなってきたため、それに抗議してのことでした。

彼は隠遁生活に入り、1939年、ナチスドイツを離れてスイスに移住し、その地で亡くなっています。ナチスはアインシュタインを筆頭に、多数のノーベル賞を受賞した科学者を失っているわけですが、リヒャルト・ヴィルシュテッターもその一人でした。

※独語版「Wikipedia」から第一次世界大戦のドイツ軍

 

 

防毒マスク開発を依頼したのはフリッツ・ハーバー

 

vivanon_sentenceこのヴィルシュテッターに防毒マスクを開発を依頼したのがフリッツ・ハーバー(Fritz Haber)でした。高井としを著『わたしの「女工哀史」』シリーズを読んでいた人は少ないでしょうが、高井としをがアインシュタインと勘違いしていた化学者です。

あの件を書いた時にフリッツ・ハーバーのことを軽く調べて、フリッツ・ハーバーが戦後苦労したことも読んではいたのですが、高井としをの記憶がいかに当てにならないのかに意識が奪われていたし、当時は「ナチス・シリーズ」の前ですから、フリッツ・ハーバーにさしたる興味を抱かずに終わってしまいました。

改めてこのことを知ったのは大澤武男著『ユダヤ人 最後の楽園』でした。「こういう人だったのか」とやっと理解して、あの時は目次しか見てなかったハーバー博士講演集 : 国家と学術の研究』(昭和6年)にも目を通しました。

私はあの時までフリッツ・ハーバーの名前も知らなかったのですが、評伝も日本で出ていて、日本語版Wikipediaにも項目があり、相当に詳しく説明されています。それだけの功績のある化学者です。

Wikipediaを読んでいただければ私のこの複雑な思いを共有していただけると思いますが、私なりにまとめておきます。

フリッツ・ハーバーは1868年、シレジア・ブレスラウ市(現ポーランド)で染料を扱う裕福なユダヤ人の家に生まれました。学生時代から化学に興味を抱いていましたが、ギムナジウム(日本の高校に該当)卒業後は家業を継ぐために染料商に弟子入り。しかし、この仕事に合わず、化学の道に進むことにし、それをサポートしてくれたのは叔父でした。この叔父が重要ポイントです。

 

 

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