松沢呉一のビバノン・ライフ

海から金を採取しようとしたフリッツ・ハーバーを援助した星一—祖国に裏切られたユダヤ人化学者[2]-(松沢呉一)

フリッツ・ハーバーとアインシュタイン—祖国に裏切られたユダヤ人化学者[1]」の続きです。

 

 

エスカレートする毒ガス戦

 

vivanon_sentence世界で最初に化学兵器が実戦で使用されたのは1914年。フランス軍が臭化キシリルを使った催涙ガスを使用しています。これはそれ以前からパリ警察が盗賊団対策に使用していたものです。成分は違えども、今もデモに使われる催涙弾の始まりはフランスです。

敵が涙を流し、咳き込んでいる時に攻め込むわけですから、これ以降の、殺すことを目的とした毒ガス兵器とは大きく違います。

ドイツ軍も、同年から研究をスタートさせ、当初はフリッツ・ハーバーではない化学者による研究に基づいたジアニシジン・クロロハイドレートとジアニシジン・クロロスルホネートを戦地で使用。1914年10月27日に初めて実戦で使用されますが、あまり効果はありませんでした。

1915年1月31日ドイツはボリムフの戦いでもロシア軍に催涙ガスを使用。この時は風が逆に吹いたことと、気温が低かったため、失敗に終わっています。

この時の失敗を踏まえて、ドイツ軍は1915年4月22日から5月25日までベルギーの第二次イペールの戦いで、フリッツ・ハーバーによる塩素ガスによる毒ガス兵器を英仏軍に対して使用。5,700のガスボンベから167トンの塩素が放出され、塩素雲が敵の塹壕を襲い、初日だけで少なくとも5,000人が塩素を浴び、1,000人が死亡し、4日間で4,000人が死亡する成果を上げます。死亡者にはドイツ兵もいました。風向き次第で自軍も浴びますから、防毒マスクが必要だったのです。

この時、フリッツ・ハーバーは従軍して直接指揮をしています。

すぐに連合国側も対抗して、とくに英軍が毒ガスを使用し始め、互いに防毒マスクを使用するようになって、フリッツ・ハーバーは、皮膚に作用するホスゲンマスタードガス(イペリット)による毒ガス兵器を開発し続けます。

※独語版Wikipediaから防毒マスクをしたイギリス兵。防毒マスクはドイツ製の方が優秀だったよう。着色しています。

 

 

ノーベル賞を受賞しながら苦難の時代が始まる

 

vivanon_sentence大戦中の1917年、フリッツ・ハーバーはTASCH(Technischen Ausschuss für Schädlingsbekämpfung)を設立。これは害虫駆除の会社(公的な性質の組織っぽくもある)です。

フリッツ・ハーバーが離れてから、TASCHを引き継いだヴァルター・ヘールト(Walter Heerdt)が開発したのがZyklon。殺虫剤でありながら、欧州大戦では毒ガスとしても使用された。チクロンBとして商品化されて、国外での需要も高まります。のちにナチスが虐殺のためにガス室で使うことになる殺虫剤です。これによって、フリッツ・ハーバーの親族数名も収容所で殺されています。

1918年11月9日、第一次世界大戦終結。戦争終結が早まるとの読みは完全にはずれ、フリッツ・ハーバーが開いた化学戦で92,000人の兵士が死に、130万人が化学兵器で負傷する結果となりました。その1人がマスタードガスを浴びたヒトラーでした。

連合国側はハーグ条約違反の容疑をフリッツ・ハーバーにかけて、死刑になることを恐れたフリッツ・ハーバーは変装してスイスに逃亡し、連合軍が容疑を取り下げたのを確認してドイツに帰国。

 

 

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