婦人キリスト教禁酒協会の二代目総裁フランシス・ウィラードの人種差別発言—矯風会がフェミニズムに見える人たちへ[禁酒編 3]-(松沢呉一)
「ナチスの失敗・禁酒法の失敗—矯風会がフェミニズムに見える人たちへ[禁酒編 2]」の続きです。
アイダ・B・ウェルズによるフランシス・ウィラード批判
矯風会のもとになった婦人キリスト教禁酒協会は、1874年に、福音派によって、禁欲的な社会を作ることを目的に設立されました。初代総裁(President)は、アニー・ターナー・ウイッテンマイヤー。1979年に、フランシス・ウィラードが二代目総裁に就任します。
二代目総裁のフランシス・ウィラードは、ウィラード女史として矯風会の本によく名前が出てきますが、この人には大きな汚点があります。
今回、ネットを回っていて知ったのですが、ウィラードは公民権運動の活動家であるアイダ・B・ウェルズに、人種差別発言を批判されています。
Wikipediaを見ると、ウィラードのミスはさしたる問題ではなく、ウェルズがしつこいようにも読めてしまうのですが、以下のサイトが徹底検証をしています。
Truth Telling: Frances Willard and Ida B. Wells
このサイトの充実振りには目を見張るものがあって、深夜まで読み耽ってしまいました。
婦人キリスト教禁酒協会は黒人も参加できる改革派の団体という体裁になっていたのですが(これ自体は事実でありながら、その内部においても差別があった模様)、その実、ウィラードは、インタビューで、リンチは黒人の男が白人の女をレイプするためであるとの考えを語ってリンチを容認していたことをウェルズは告発。ウェルズはこういった話は根拠がないことを自身で取材をしていました。
これに対して婦人キリスト教禁酒協会はリンチ反対の決議をするのですが(ウェルズの批判をかわすためだったかどうかまでは不明ですが、タイミングはそう語っています)、その決議にウィラードは体調不良で欠席。
ここから直接対決が始まるのですが、ウィラードは自分の非を認めないまま、ウェルズを批判します。この間、決議内容も南部の会員からの反対により、リンチの文字が消えるなど、ウィラード個人だけでなく、団体の中にある差別意識が浮き彫りになっていきます。婦人キリスト教禁酒協会は差別反対の団体ではなく、あくまで禁酒を柱にした道徳団体ですから、その点では矛盾はないとも言えますが、開かれた団体としてふるまっていた以上、批判されるのは当然です。
結局のところ、ウィラードは1898年に亡くなるまで自分の非を認めませんでした。
ざっくりそういう話です。このサイトはホントに素晴らしくて、問題になった発言の紙面・誌面を確認できるようになってます。自動翻訳できないので、原文を読むしかなく、軽くしか読んでないですが、書き写した場合は、手が加わっているのではないかと疑われます。国会図書館にできるだけリンクするようにしている私と同じです。
どうしても婦人キリスト教禁酒協会の日本版である日本基督教婦人矯風会の初代会頭である矢島楫子のごまかし人生を想起してしまいますが、ウィラードの体質が日本の矯風会にまで伝わったとは言うまい。でも、似てます。同類。
この論争はとくに米国に限らず、広い範囲で起きえる運動の、あるいは個人の限界を示しています。
※Ida B. Wells『Southern Horrors: Lynch Law in All Its Phases』 なお、「「ネットリンチ」は和製英語に近い—リンチの歴史[11]」でも、Ida B. Wellsによる著書の書影を取り上げています。
ウィラードはどこを見ていたのか
フランシス・ウィラードは進歩的で差別に反対だと表向き演じていただけでなく、自身もそうだと信じていたかもしれない。それでも限界は超えられず、リンチで殺す側にいたのですし、黒人たちにとっては男であろうと女であろうと白人は支配者でした。
支配者側の運動も言うまでもなくあっていい。以前も書いているように、当事者のみに変革や発言の資格があるわけではありません。しかし、非当事者の運動も、当事者の視点を無視してはならず、当事者を無視した運動は往々にして、自身の足場である支配者の論理になります。道徳はすでに支配者の論理であることはこれまでにも指摘してきた通りです。
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