松沢呉一のビバノン・ライフ

矯風会が婦人参政権を求めたのは男女平等が目的ではなかった—矯風会がフェミニズムに見える人たちへ[婦人参政権編]-(松沢呉一)

「矯風会がフェミニズムに見える人たちへ」の序章はこちら

この続きは「大政翼賛編」として独立させました。

図版を探すのが面倒になったので、あばずれたちの写真で統一しました。

 

 

 

矯風会は長らく婦人参政権を無視していた

 

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改めて久布白落実著新日本の建設と婦人』がどういう本か説明しておきましょう。

禁酒宗教としては当然ですが、第一篇(第一章)は延々と酒との戦いについて書かれています。17ページから40ページまでは米国の話で、その多くは「米国の婦人矯風会」、つまり婦人キリスト教禁酒協会に費やされています。中心はウヰラード女史であり、詳細にその生い立ちと活動が描かれているのですが、アイダ・B・ウェルズに批判されたフランシス・ウィラードと婦人キリスト教禁酒協会の黒人差別問題は一切触れられていません。

ここではあくまで禁酒についてですから、触れないのもそう不自然ではないにせよ、一言触れてもおかしくはなくて、つくづくフランシス・ウィラード・ハウスの姿勢は理想的です。

ウィラードの負の部分を出すことによって去っていく人たちもいるでしょう。一方で、ハウスの運営者を評価する人たちもいるでしょう。

彼らは自分たちの評価が高まることを期待して負の部分を出しているわけではなくて、事実だから出しているってことだろうと思います。この姿勢がウィラードや婦人キリスト教禁酒協会を知る人たちが正しい評価ができることにつながります。評価が落ちるのだとしても、それが正しい評価なのだから受け入れるまでです。

ウィラードや婦人キリスト教禁酒協会がいかに婦人参政権運動に尽力したとしても、それだけを切り取って誉め称える姿勢は正しい評価ではありません。

同じく矯風会が婦人参政権運動をした部分だけを切り取って評価するのは適切ではありません。矯風会は何を目的にして婦人参政権を求めたのかを直視すべきです。

Enjoy ilicit booze during prohibition – NY Daily News

 

 

大正7年まで矯風会は婦人参政権に無関心であった

 

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久布白落実著新日本の建設と婦人』ではフランシス・ウィラードについてもうひとつ触れていないことがあります。婦人参政権です。あれだけ婦人キリスト教禁酒協会やウィラードについて詳しく紹介しているのに、触れていないのは不思議ですが、久布白落実が書いていることでその理由がわかります。

婦人キリスト教禁酒協会は1874年に設立され、日本基督教婦人矯風会は1886年(明治19年)に設立されています。その頃にはウィラードは婦人参政権を打ち出していたはずですが、これ以降、長い間矯風会は婦人参政権には無関心でした。

つまり、日本においては禁酒法まで制定する時期には来ておらず、婦人キリスト教禁酒協会にとっての婦人参政権は禁酒法制定のための方便であったことを久布白落実は正しくとらえていたために、婦人参政権を必要とは考えていなかったのです。男女平等、女性の権利拡大なんてことには興味がなかったわけで。

婦人キリスト教禁酒協会も矯風会も男女平等を希求する団体ではなかったため、当然と言えば当然です。矯風会もまた道徳実現のために婦人参政権を必要としたことを久布白落実が書き残しています。

Women of the Roaring 20’s

 

 

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