松沢呉一のビバノン・ライフ

矯風会の始まりは婦人禁酒会—矯風会がフェミニズムに見える人たちへ[禁酒編 1]-(松沢呉一)

本シリーズ全体については「今こそ歴史を語りたい—矯風会がフェミニズムに見える人たちへ[序章]」をお読み下さい。「廃娼編」はこちらから。廃娼編から読んでも、禁酒編から読んでも差し支えないようになっています。それらを読んでから「婦人参政権編」に進んでください。

 

 

 

矯風会とは何か

 

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この「禁酒編」では「矯風会とはなんなのか」から始めます。矯風会の正式名称は日本基督教婦人矯風会です。現在、「キリスト」は片仮名表記で、使い分けるのは面倒なので、ここではすべて「矯風会」と略します。

この団体の設立に関しては「禁酒・禁煙・優生思想、それってナチスでは?—安部磯雄の信仰と社会主義[3]」に簡単に書いていますが、1886年(明治19年)、米国の婦人キリスト教禁酒協会(the Woman’s Christian Temperance Union/WCTU)の書記であり、宣教師だったメアリー・グリーンリーフ・クレメント・レビット(Mary Greenleaf Clement Leavitt)が来日し、30カ所以上で講演をしており、レビットの勧めに従って各地に婦人禁酒会が設立されています。

この婦人禁酒会婦人キリスト教禁酒協会の日本版の始まりであり、婦人矯風会の始まりでもあります。

この来日時の講演はエム・シー・レビット著『禁酒演説集』(明治20年)にまとまっています。これを読んでちょっと意外に感じたのは、その数字が信用するに足るか否かは置くとして、米国の保険会社のデータを使うなど、数字に基づいた論を展開しているところです(保険会社の数字はこれ以降のものにもよく出ていますが)。

データに目がない私は酒をやめそうになりました(笑)。しかし、こういう人たちにありがちな「ホントかよ」と突っ込まないではいられないエピソードが次から次と出てきて、やっぱり禁酒はやめました。

私は酒を飲まないですが、絶対に飲まないと決めているわけではありません。好きではなく、必要でもないので飲まないだけです。

ちょっと前に中華料理屋でメシを食った時に、ウーロン茶を頼んだら、どうも酒が入っているっぽい。ウーロンハイと間違えたらしい。私は見た目が酒飲みなので、こういう間違いはよくあります。

まあいいかと飲んでいたら酔ってきたので、結局、店員に交換してもらいました。店員に怒鳴るほど酒を嫌っているわけでもない。

酒の害が存在していることは否定できないので、それを訴えることはいいとして、なぜこうも酒を憎悪し、世の中から消すことを求める人たちがいるのか理解ができません。この演説集を読んでもわかりませんでした。

婦人キリスト教禁酒協会も矯風会も、また、救世軍も、法で酒を禁止することが目的であり、酒をやめたいけどやめられない人たちが集まるだけの断酒会のようなものではないのです。

戦前から宗教団体の社会活動は寄付を集めるための手段であるとの指摘がなされていて、そうだとすると耳目を集めるために極端なことを言い、派手なことをやった方がいいってことになりましょうが、真偽はわからないし、そうじゃなくても、全体主義的発想をする人たちだろうと思います。

※上の図版は英語版Wikipediaよりメアリー・グリーンリーフ・クレメント・レビット

 

 

禁酒と排酒

 

vivanon_sentence久布白落実著『新日本の建設と婦人』の第一篇(第一章)は「経済難」と題されていますが、その内容は禁酒運動についてです。ここで久布白落実は今は聞き慣れない「排酒」という言葉を使用しています。

 

 

今日称へらるる名前はもう禁酒ではない、排酒である。我国から酒なるものを、全然排して仕舞って、これを太平洋なり、日本海なりへ全くつき落して葬って仕舞ふと云ふのが今日の運動の本体である。

 

 

「排酒」という言葉は久布白落実のオリジナルではありません。旧制一高から始まった一高排酒同盟が大正時代から活動を開始し、この段階では矯風会とも連繋していたのですが、ここから日本排酒連盟に発展。この日本排酒連盟は、矯風会を含む宗教的・道徳的・感情的禁酒運動を強く批判し、それらの団体の「禁酒」と違うものとして「排酒」という言葉を使っています。簡単に言うと、「酒だけなくしても社会がよくなるはずがない」というものですが、酒をなくすという目的は同じです。そこが惜しい。

 

 

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