松沢呉一のビバノン・ライフ

禁酒法の背景にあった排外主義とKKK—矯風会がフェミニズムに見える人たちへ[禁酒編 4]-(松沢呉一)

婦人キリスト教禁酒協会の二代目総裁フランシス・ウィラードの人種差別発言—矯風会がフェミニズムに見える人たちへ[禁酒編 3]」の続きです。

 

 

禁酒法制定におけるWCTUの役割

 

vivanon_sentence本シリーズは「廃娼編」「禁酒編」「婦人参政権編」の3本柱からになります。婦人参政権と禁酒は密接に関係するため、「婦人参政権編」を少し先取りします。

婦人キリスト教禁酒協会(WCTU)の二代目総裁フランシス・ウィラードは婦人参政権に積極的で、彼女が総裁になってから、婦人参政権獲得運動は婦人キリスト教禁酒協会の重要な柱になります。

以下のBBCの記事は本年が禁酒法から一世紀になることに因む内容ですが、禁酒法制定において、キリスト教系の禁酒団体、とくに婦人キリスト教禁酒協会が大きな役割を果たしたことが記述されています。

 

2020年1月16日付「BBC NEWS

 

米国で婦人参政権が実現したのは1920年。禁酒法と同じ年です。しかし、それ以前から州によっては婦人参政権が実現していて、禁酒法制定に影響を及ぼしたようです。

これがまさにウィラードが狙った効果です。酒を飲むのは圧倒的に男です。そのための経済的困窮や暴力による皺寄せは圧倒的に女が受ける。その女たちが投票できるようになれば禁酒を実現できるとウィラードは考えました(表向きの話で、その根底にあったのは排外主義であったことは以下に書いた通り)。

婦人キリスト教禁酒協会にとっての婦人票は自分らの道徳実現のための道具だったのです。

婦人キリスト教禁酒協会が禁酒法制定に、また、婦人参政権獲得に、どれだけ貢献したのか私にはわかりませんが、婦人キリスト教禁酒協会が参政権獲得に尽力したことは間違いがなく、その事実は事実として認めればいい。

しかし、米国で婦人参政権運動を進めていたのは、サフラジェットの拠点英国のWSPUに連帯するNAWSA(National American Woman Suffrage Association)やNWP(National Woman’s Party)のような男女同権を求める団体、アフリカ系米人たちの公民権運動がありました。宗教運動の域を出なかった婦人キリスト教禁酒協会の婦人参政権運動をこれらに比肩させるのは私には抵抗があります(NAWSAの中にも禁酒派はいたようですが)。

Wikipediaよりフランシス・ウィラード

 

 

禁酒法と排外主義

 

vivanon_sentence婦人キリスト教禁酒協会が求めたのは、宗教的道徳の実現だけではありません。

矯風会や救世軍の資料を読んでも、そこまで読み取ることは難しいですが、禁酒法はそれ自体排外主義思想に基づいていました。

このサイトトーマス・ペグラム(Thomas R. Pegram)ロヨラ大学教授による以下の記述があります。

 

 

禁酒法は、当初から、反移民と反カトリックの偏見に基づいていた。禁酒法支持者の多くは白人であり、自分らのような人々だけが「本物のアメリカ人」であると信じるアングロサクソンのプロテスタントであった。彼らは国がイタリアのような国からのカトリック移民によって包囲されていて、これらの人々が彼らの外国の飲酒習慣と酒場文化でアメリカを脅かしていると信じていたのである。

(略)

1910年代に、カトリック系移民が国家を苦しめていると感じてとロビー活動を行った2つの主要組織である、婦人キリスト教禁酒協会と男性アンチ・サルーン連盟は、カトリック移民を非難した。連盟はさらに、その人口統計が大きく変化する前に、米国は国家の禁止を通過する必要があると主張した。

 

 

禁酒運動が優生思想を持ち込んで排除しようとしたのは、飲酒による貧困や病気が代々遺伝されていくということだけではなくて、移民たちでした。あいつらが増えると米国民が劣化するのだと。

婦人キリスト教禁酒協会は反カトリック移民、おまけに反ユダヤでした。と書かれているものがあるのですが、おそらくフランシス・ウィラードの黒人差別と同じで、表立って主張したのではなかろうとは思います。

 

 

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