松沢呉一のビバノン・ライフ

ナチスに関する数々の書物や映像が取り上げなかった包皮の真実—包茎復元計画[14]-(松沢呉一)

少なくとも数万人のユダヤ人を死に追いやったチンコの皮—包茎復元計画[13]」の続きです。

 

 

 

ナチス=悪人/ポーランド人=善人

 

vivanon_sentence前々回、『ユダヤ人を救った動物園』では「著者のダイアン・アッカーマンはあえてシンプルな世界観にしていると推測できる」と書きました。割礼と再生手術について調べて、このことを確信しました。

割礼していることでチンピラたちに恐喝されたこと、医者は暴利を貪っていたことが元ネタには書かれているのですが、『ユダヤ人を救った動物園』にはまったく反映されていません。チンピラは登場せず、医師たちは善意で手術をしていたようにしか思えない記述になってます。元ネタでは悪徳医のようになっているのに、『ユダヤ人を救った動物園』では読み取れません。

ユダヤ人を救った動物園』に登場するポーランド人は徹底して「いい人たち」です。「ドイツ人=悪人」と対照的な描き方になってます。ポーランド人の例外は警察官くらいだったと思います。

そこには情報の取捨選択があって、ポーランドではナチス以前からポグロムがあり、ナチス以降にもボグロムがあったように、反ユダヤ感情も強かったはずなのですが、そのことも読み取れない。

チンピラたちのように、ポーランド人でも報酬目当で密告するのもいれば、ナチスに取り入って甘い汁を吸おうとしたのもいたはずですが、そういう話も出てこない。

仲間に裏切り者がいたかもしれなかったことをわずかに臭わす記述があるくらいで、とくに地下活動をするポーランド人たちやユダヤ人たちは「勇気のある善人」なのです。

これは間違いとまでは言えない。ボーランド人もユダヤ人も迫害され、殺されていった人々であって、例外的な人々をポーランドやユダヤ人一般につねに対比させなければならないってことはない。

しばしばドイツ人が描くユダヤ人は無抵抗に殺されていく人々ですが、『ユダヤ人を救った動物園』ではワルシャワ・ゲットーが撤去される際の一ヶ月近くにわたる壮絶な蜂起が取り上げられていて、わずかな武器と火炎瓶で闘うユダヤ人たちの姿が描かれています。しかし、圧倒的な物量でナチスドイツ軍はゲットーを制圧し、焼き尽くし、多くのユダヤ人が殺され、降伏したレジスタンスたちは強制収容所に送られました。

火炎瓶で果敢に闘うユダヤ人の姿から、香港を想起しないではいられませんでした。

動物園のことだけでなく、こういうところをしっかり描いていることがこの本のいいところです、

Wikipediaより、捕虜になったワルシャワ・ゲットーのレジスタンス

 

 

チンコの皮は扱いにくい

 

vivanon_sentenceこの物語は、アントニーナ・ジャビンスカ(Antonina Żabińska)が残した日記がメインになって構成されています。彼女はヤン・ジャビンスキ(Jan Franciszek Dionizy Żabiński)の妻であり、ヤンはワルシャワ動物園のディレクター(園長)です(男女で同じ姓もありますが、スラブ圏ではよくあるように、ポーランドでは男女で姓の語尾が違い、男姓の語尾は-ski、女姓の語尾は-ska)。

だから原題は「The Zookeeper’s Wife」。「飼育係の妻」では売れないという判断をしたのはわかるとして、なぜ邦訳では「ヤンとアントニーナの物語」というサブタイトルにしたのかについての説明はありません。主人公はアントニーナであることは読めばわかりますが、翻訳の過程でも少しずつ情報は変化します。

本書ではアントニーナの生活を軸にして、ヤンの生活、息子のリスの生活、ヤンが関わる地下組織の全体像、ナチスの動き、そして動物たちといったさまざな層がからんでくるので、ナチス対ポーランドという軸についてはシンプルにするしかなかったのかなと想像します。

あるいはそんな計算ではなくて、著者はポーランド系米人なので、自己のアイデンティティから、自然とそうしてしまったのかもしれない。

いずれにせよ、それがこの本を読みやすくしていて、非難されるようなことではありません。どうしたって情報は選択しなければならないわけですから。

こういった素材の取捨選択が本において、あるいは映画においてなされるのは当然であって、この映画版では割礼の話はおそらくカットされているのではなかろうか。それこそ小学生だって観そうで、小学生が割礼について、また、復元手術について理解するのは難しい。こういう話はチンコがむける歳になってから。

こうして、たいていの表現物で、チンコの皮はカットされる。割礼でカットされ、本や映画でまたカットされ。

Wikipediaより『The Zookeeper’s Wife』初版の表紙

 

 

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