一人一人の意識と無意識が歴史を改竄していく—包茎復元計画[16]-(松沢呉一)
「ナチスのステロタイプと闘う物語—包茎復元計画[15]」の続きです。
一人一人が事実を軽視し、忌避した結果
ユダヤ人救出の話、レジスタンスの話、日常の生活の話、動物の話が多層に進行していく『ユダヤ人を救った動物園』を紹介しようとしつつ、包皮についてはどう扱っていいのか私も迷いました。結局、このように切り離すことにしました。とくに私は「チンコ」って書くのでシリアスさを削ぎ、土台が崩れるのです。
私だって「ペニス」「陰茎」「男性器」といった言葉は知っているわけですが、「ビバノン」という場ではデフォルトが「チンコ」なので、つい「チンコ」って書いてしまいます。
私の場合はこの話を取り上げない選択はあり得ないですけど、この本の書評を書く人たち、ネットで紹介する人たちのほとんどはこのことには触れないのではないか。触れたいのに触れられないのでなく、触れようとも思わず、それ以前に、読んだ段階でこの意義を理解はしないのではないか。全体からすればわずかな記述ですし。
はっきりと割礼がユダヤ人の判定基準になったことが書かれているこの本は貴重ですが、おそらく万に達する人が読んでいるはずなのに、ここに食いついた人は少ない。ほとんどいないと言ってもいいかと思います。人は見たいものしか見ないのです。
その結果、このことはほとんど注目されることはなく、殺されないために包皮手術をしていたことも知られる機会が減ってます。書類を偽造し、聖書を読み、見た目をユダヤっぽくしなければ逃れられるような誤解を広げてしまっています。これはあまりに重大な歴史的記録の欠落です。
戦後間もなくは割礼と復元手術の重大さが理解され、記録に残されたのに、時間が経つにつれて風化していく。「歴史を風化させるな」と言いながらも、多くの人は触れなくなる部分が出てきます。だから、歴史はその時代に書かれたものを読む必要があります。ナチス時代に反ナチスのものは出版しにくかったので、戦後間もない出版物です。混乱期に出たものは信用できないものもあるので要注意ですが。
私が街娼の実相に気づいたのも、その当時のものを読んだからです。それ以降のものは一人一人の心が改竄を加え、「やむなく街に立った哀れな女たち」にされていきます。
一人一人の忌避する意識、あるいは無意識が、ナチスのステロタイプと闘った人々を戦後は別のステロタイプに当てはめてしまったとも言えます。その点、ダイアン・アッカーマンも「ドイツ人=悪人」「ポーランド人=善人」というステロタイプを強化しているとも言えますが、その綻びを象徴的なエピソードで見せています。これは改めて取り上げますが、切り捨てた部分があるとしても、割礼については触れないではいられなかったダイアン・アッカーマンに敬意を払いたい。
ユダヤ教徒における割礼維持原理主義と割礼反対派
改めてネットで調べてみたのですが、世界的に盛り上がりつつある割礼反対運動は、当然のことながら、ユダヤ原理主義者から反発をされています。とくにドイツのユダヤ人たちからはナチスの弾圧に重ねて非難されています。「また割礼で迫害されるのか」と。
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