松沢呉一のビバノン・ライフ

両者の合意で結婚ができるようになったことの素晴らしさ—RADWIMPS野田洋次郎の優生思想[2]-(松沢呉一)

弘田三枝子と三浦春馬の死を知った日—RADWIMPS野田洋次郎の優生思想[上]」の続きです。

 

 

 

個人が決定する社会と国家が決定する社会

 

vivanon_sentenceナチスドイツと違い、日本では民族によって結婚できたりできなかったりはしなかったわけですが、民法の規定で一定年齢まで親の承諾なしでは結婚できなかったため、少なからぬ親たちは外国人との結婚、他民族との結婚を阻止したでしょう。

親の反対を押し切って駆け落ちしたところで婚姻届けは出せないわけで、戦前、悲恋の心中や自殺が多かったのはいくつか理由がありそうですが、この規定が思い詰める原因のひとつになっていたことは間違いない(その具体例は「日本で最も心中を引き起こした事件にして最もよく知られる屍姦(疑惑)事件「坂田山心中」」を参照のこと)。

その時の親の判断基準は財産や地位もありましたが、それらとともに重要なのは血統です。「個」も検討されるにせよ、その上位にそれらが 位置します。

ナチスであれば、個の上に民族があり、国家がありました。戦前の日本では個の上に親なり家なりがありました。

戦争に負けて新憲法となり、親がどうあれ、国籍がどうあれ、血筋がどうあれ、両者が合意すれば結婚できるようになります。個と個の決定です。両者が合意さえすれば恋愛するもセックスするも結婚するも自由。このことの素晴らしさを忘れてないか?

あとは「性別がどうあれ」が残るのみです。着々と世界は同性婚を法的に可能とする方向で動いています。

※2020年7月29日付「SCI NEWS」 今回の話とは関係なく、前回出てきたネズミキツネザルの新種発見の記事。この記事を読むとわかるように、新種のサルと言っても、ネズミキツネザルには多数の種類がすでにいて、そこにヴァージョンが一種加わったに過ぎないとも言えますけど、なんか嬉しい。未知の生物がまだいるってことが嬉しい。人間の中にも人間の未知の能力が潜んでいます。

 

 

ディストピアかユートピアか

 

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ナチスドイツでは国民全体の質を向上させるために、異民族とのセックスや結婚を禁止し、SS(親衛隊)については結婚も党の承諾が必要でした。徹底した国家による性の管理であり、国民の管理です。

かつての中国共産党もそうです。結婚相手は党が決定します。個の領域であるがために全体主義においては、そこを管理したがります。統一教会もそうですね。

結婚相手を国家が決定する制度は星一著『三十年後』にも出てきました。私にとってあの世界はディストピアですが、個人の幸福よりも社会の利益、国家の利益、党の利益を上位に置く考え方をする人たちにとってはユートピアです。全体主義的幸福を追及する人々の発想です。

しかし、こんな人たちだけで社会はできているのではありません。

野田洋次郎が言う「お化け遺伝子」を持つスポーツ選手がいたとして、その人物が同じく「私の結婚は、未来の日本のために役立てたい」と考えるのであればいいですけど、「私は自分のためにスポーツをやっているのであって、国家のためではないし、私の結婚は私で決める」という考えであれば迷惑な話。

「もし国家が優れた人物の結婚相手を決定する」となったら、自由を求めて海外に流出する人たちが続出します。ナチスドイツからアインシュタインを筆頭に優れた科学者が次々と国外に脱出したのと同じです(その結果、ナチスドイツの核兵器開発計画が頓挫したしたのは幸いだったとして)。

こんな考え方は社会にとって損失を生むだけですし、社会にとって損か得か以前に私はこういう発想自体を拒絶します。左右を問わず、全体主義者は糞食らえです。

スティーブン・トロンブレイ優生思想の歴史』  戦前の優生学についての本や優生思想を支持する人々の言説はそれなりには読んでいますが、戦後その反省に基づいて、全体を見渡すようなものは新書を読んだきりなので、この辺を読んでみるかな。

 

 

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