松沢呉一のビバノン・ライフ

請願の背景にあった異様な思想—平塚らいてうの優生思想[3]-(松沢呉一)

「花柳病男子の結婚に関する請願書」に対する与謝野晶子の批判—平塚らいてうの優生思想[2]」の続きです。

 

 

 

与謝野晶子の批判を超える平塚らいてうの「異様」な思想

 

vivanon_sentence花柳病男子の結婚に関する請願書」は、婚姻外セックスを否定して、結婚制度の強化を目論むものであることは間違いありません。

この請願の趣旨を徹底するなら、婚姻外のセックス自体を法で全面的に禁ずるしかなくなります。平塚らいてう自身、婚姻届を出さない結婚生活をしていたことを与謝野晶子は持ち出しており、それさえも禁じることを平塚らいてうは織り込み済みだったのか。あるいは自身は無関係として、すっかり自分のことは棚に上げていたのでありましょうか。

梅毒が蔓延して、一般家庭にまで入り込んでいた現状をなんとかしなければならないと考えて、本来あってはならないことを請願したというところか。コロナウイルスをなんとかしなければならないとして、民主主義国家、自由主義国家としては、本来あってはならないロックダウンを各国がやったのと一緒です。

与謝野晶子もスペイン風邪の流行時は、死の恐怖に襲われて、やらんでいいことをやり、何もしないでいる人を蔑視するようなことを書いてましたが、あくまで個人が対処するものとしてとらえてました。ここで国家に解消を求めないのが与謝野晶子です。

与謝野晶子が「性病予防に力を入れるのはよし。であるならば他に方法があるだろう」(大意)と指摘した通り、性病蔓延を抑制するための他の法案も出ていました。結婚にからめずとも、広く一般に検査を徹底するなど、方法はあったはずなのです。

むしろ新婦人会の請願にはただの性病予防ではない思惑が込められています。この背景にある平塚らいてうの思想がまさに「異様」なのです。

これを批判した与謝野晶子の「新婦人協会の請願運動」も読み方によっては、より広範な病気を対象にした劣種禁婚法を求めているように読めますが、全文を読むとわかるように、与謝野晶子としては、請願自体を否定する立場からこれを書いているのであって、より合理的な内容に変えたところで賛同しなかったでしょう。

与謝野晶子は花柳病に限ったことによって、「道徳的な家庭婦人の立場」が露骨になったことを問題とし、「あんた方の本意は婚姻制度の強化なのでは?」と言っています。ここが批判の主題です。

※校歌を与謝野晶子が作ったというだけで、前回に続いて品川女子学院。

 

 

無理のある平塚らいてうの言い訳

 

vivanon_sentence与謝野晶子の批判を受けて、平塚らいてうは『女性の言葉』収録「新婦人協会の議会運動に就いて与謝野晶子氏に御答へいたします」でこう書いています。

 

 

与謝野夫人は家庭と社会及び子孫に対し戦慄すべき害毒を流しつつある病症は花柳病の外に結核もあり、癩病もありなほ他の伝染病及び遺伝病もあるから、とくに花柳病と限らず、総括して伝染病及び遺伝病の患者とする方が合理的だと言ってゐられます。(略)善種学見地から結婚を制限すべきものに、花柳病の外、癩病、結核、癲癇、白痴、其他の精神病、神経衰弱、大酒等のあることは今改めて言ふ必要がありません。併し私は国家が法律をもって是等の者の結婚を制限するといふことは、元来理論上からは(若しくは理想の上からは)寧ろ大なる反対論者なのであります。それ故私共は花柳病に対しても、何も好んで、それが理論上正しいからとか、合理的だからとかいふやうな単純な理由からかういふ法律の制定を望むものではなく、一に今日我が国に於ける花柳病の蔓延が社会にら与へつつある害毒が、更に言へば、結婚によって現に我国の婦人と種族とが、蒙りつつある花柳病の害毒が、敢てかかる法律を要求することにらよって一般の注意を喚起する必要を痛切に私共に感ぜしめるほどそれほど激しいことに起因するのでありますから、誰れか求めてそれほどの実際的必要に現在迫られてもし(ママ)ない他遺伝病や伝染病に対してまでも同時に煩鎖にして不快な法律的干渉を結婚の上にすることを望みましょうか。

 

 

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