松沢呉一のビバノン・ライフ

同調圧力を作り出しているのは自分自身—YouTubeで見る脇毛[15]-(松沢呉一)

貝印の脇毛より、脇毛YouTuberの脇毛を誉め称えたい—YouTubeで見る脇毛[14]」の続きです。

 

 

周りに合わせることしかできない人々のワキの甘さ

 

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「毛から世界を見る」シリーズのどっかに書いてあるはずですが(探したけど、見つからなんだ)、欧米のミュージシャンや女優やモデルが脇毛を伸ばしていることが話題になると、「日本でも早く脇毛を伸ばせるようになればいいのに」と言い出すのがよくいます。

いやいやいやいや、それらの国でも大多数は剃っていて、「女は剃るべし」というプレッシャーがないのではなく、あるがゆえにそういう行動をとっている人たちがいるのです。むしろこの四半世紀、男女ともに陰毛までない方がいいという流れになっていて、行き過ぎた不潔嫌悪に対する反動が起きています。その反動はまだまだ小さい。

こんなん、検索すればすぐにわかることで、「幼い頃から毛深いことでいじめられて、強いコンプレックスになっていたのが、SNSで脇毛を伸ばしている人たちを見て、やっと救われた」なんてヤンキー娘の体験談を探すのは全然難しくない。

その行動に賛同するのであれば、今すぐ日本でやればいいだけです。

「それらの国では脇毛を伸ばしていい。そういう国に日本がなれば自分も伸ばせる」という発想は「私は周りに合わせることしかできない」と告白しているだけです。どこの国でもこういう人たちはいるでしょうけど。同志社大学の調査であまりに露骨に明らかになったように、日本人のもっとも典型的な思考です。自分で判断し、自分で行動することができず、周りに合わせるだけ。ダッセエ。

つうかさ、脇毛を伸ばすことなんて簡単だべ。私がチン毛を剃るのと同じ程度に簡単。黙っていればわかりはしない。私は黙ってないし、銭湯やサウナに行けばモロバレですが。夏じゃなければ腋が見えないのだし、夏だって見えない格好をすることは可能。腋を見せる相手だけ説得すればいい。現にそうしている人たちは日本にだってザラにいるのに、何を言っているのかと。

そんな人は北米であってもヨーロッパであってもオーストラリアであっても脇毛は伸ばせないでしょう。どこに行っても周りに合わせるだけ。知っている人がいないと「周り」や「世間」がなくなるので、急に大胆になれることはありますが。

そういう人が多いこの国では、政府や企業が先導、あるいは煽動しないと行動しないわけですから、貝印のような企業がその役目を果たすのは意義があるわけですけど、そこでもまた「海外だとプレッシャーがないので生やしてる人もいるのに対して、日本だと女子は剃らなきゃダメみたいな変なプレッシャーあるから生やしている人はいない」かのようなウソを拡散することについては「ケッ」と思います。「また虚構の海外かよ」と。うんざりするわ。

こういう考え方の間違いを脇毛YouTuber長ねぎさんは颯爽と乗り換えています。

Image result for sophia loren 1950s なぜソフィア・ローレンが脇毛のアイコンになっているのかと言えば、この時代だって脇毛を伸ばしている女優は決して多くなかったからです。日本でもそうだったように、エロ系の女優では生やしているのがいたんですけどね。

 

 

個人主義的脇毛

 

vivanon_sentence長ねぎさんは気負いがない。御託もあんまり言わない。男女で脇毛の扱いが違うことへの異議程度のことは軽く言ってますが。

国がどうあれ、他人がどうあれ、それが自然であれ、不自然であれ、面白いから脇毛を伸ばしたってだけ。これが大事さね。全体主義的剃毛に対抗できるのは個人主義的脇毛。

長ねぎさんは同棲相手が女であることもさらりと告白していますが、ここでも気負いがない。

なんでこんな颯爽として軽快なのかと思ったら、彼女は日本人ではありませんでした。

 

 

 

 

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