新婦人協会の請願→国民優生法→優生保護法という流れ—平塚らいてうの優生思想[6](最終回)-(松沢呉一)
「平塚らいてうが望んだ母性保護や優生思想は大日本帝国が実現した—平塚らいてうの優生思想[5]」の続きです。
人口政策確立要綱と国民優生法
前回見た『母性の保護』では、東亜共栄圏を確立し、皇国の使命を達成するために、日本民族が東亜の指導者にならなければならないとして、そのための政策を解説しています。
具体的施策のひとつは、「ビバノン」に今まで何度か登場している人口政策確立要綱です。「産めよ殖やせよ」体制です。これは昭和16年(1941年)に閣議決定されているのですが、ただ数を増やすだけでは不充分で、質も求めなければならない。
そこで、同年に、不健全な資質をはじくための法律として「国民優生法」が制定されます。戦後の優生保護法の前身になった法律です。
新婦人協会の請願は成立しませんでしたが、彼女らの願いは、形を変えて国民優生法として実現しているのです。大日本帝国バンザーイ。
厚生省豫防局編『國民優生圖解』(昭和16年)がわかりやすく、その内容と背景を図解しています。
教育レベルの低い者ほど、不健全な者ほど、早く結婚して子どもをたくさん生む。そのために劣等な素質をもつ者ばかりが増えて、民族は劣化していくのです。劣悪な資質の連中はおそろしいですねえ。
優生手術の対象
国民優生法では、遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、遺伝性性格、遺伝性身体疾患、遺伝性奇形など劣悪な素質をもつものに優生手術をすることを定めてます。「優生手術」は断種手術です。「断種」は男の種を絶つだけでなく、女の不妊手術を合わせた言葉です(「不妊手術」という言葉もしばしば男を含めて使用されます)。
以下も厚生省豫防局編『國民優生圖解』より。
国民優生法上、優生手術ができる条件は厳しく、認定も厳しく、しかも任意になっているため、強制はできないはずなのですが、現実には強制手術がなされていたようです。
『國民優生圖解』の文中では、性病、酒害も「民族毒」としています。大日本帝国は矯風会や救世軍の思想、さらには平塚らいてうの思想に乗っ取られてしまったようです。
以下は「守れ純潔!」と題されたページ。
ここも矯風会や救世軍の考え方がそのまま反映されていますし、平塚らいてうの主張とも重なります。
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