松沢呉一のビバノン・ライフ

与謝野晶子と平塚らいてうの女中の扱い—平塚らいてうの優生思想[付録編 4]-(松沢呉一)

与謝野晶子の女学校批判—平塚らいてうの優生思想[付録編 3]」の続きです。

 

 

 

女中に対する与謝野晶子の姿勢

 

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今回改めて平塚らいてうと与謝野晶子の書いていることを読んで、「ここに両者の違いが出ているな」と思ったのは女中についてです。

与謝野晶子著『女人創造』収録「女中を解放せよ」にこうあります。

 

 

女中の現状はみじめな境遇を続けて居ます。自由労働者では無くて、まだ昔の奴隷制度時代の習慣の中に縛られて居ます。今後の女子は人格の独立と尊貴とを自覚して、あらゆる方面に旧式な組織からの解放を求めないで置きませんから、女中の境遇の一変することも遠くなからうと思ひます。今日では女中が払底して居ますから、雇主の方が以前程に先制的では無いやうですが、併し解雇する場合には雇主側の考だけで突然勝手に出して仕舞ふことが出来ます。女中は其れに対抗する法律上の力を持たず、雇主の専断で路頭に迷はねばなりません。今日突然解雇さるれば明日以後数ヶ月かの生活の保障を持たないと云ふやうな逆境にも置かれねばならないのです。労働時間にしても早天から深夜まで全く休息なしに雇主の意志次第に使役せられるのです。

 

 

おそらくこの文意からして、少なくともこの時期の与謝野晶子は女中を使っていなかったのだろうと思います。だから子だくさんの与謝野晶子は育児と家事につねに追われていて、執筆もままならず、決して生活が楽ではなかったのでしょう。だったら労働条件をよくして女中を雇った上で、創作活動をした方がよかったのに。

与謝野晶子自身、女中を廃止せよと言っているのではなく、労働条件を向上させよと言っています。具体的には1日の労働時間を6時間から8時間にし、1日の最低賃金を1円とすることを提案しています。労働時間は他の仕事同様、8時間でいいと思いますが、1日1円だと月に30円。今で言えば6万円くらい。安いと思うでしょうが、当時の給金を考えれば悪くはない。住むところと食事つきですから、それだけあれば貯金もできます。

現実にはこの頃月に10円以下が大半だったはずです。今の2万円にも満たない。休みはあっても月に1回。

女工は月に20円程度はもらえていたので、女工の方がまだまし。しかし、一律に過酷だった女工に比べて、女中は雇い主次第のところがあって、大杉栄のところにいた女中のユキちゃんは、その立場で居候を置き、金も勝手に使っていたそうです。

そういう例もあるにせよ、大半は薄給かつ過重な労働でしたから、女子の職業が広がるとともになり手が減っていったのは当然です。

Queens of Vintage

 

 

女中に対する平塚らいてうの姿勢

 

vivanon_sentenceその結果、何が起きたのかと言えば、質の低下です。大正期からはカフェーの女給やデパートガールといった仕事も出てきますが、誰でもできるわけではなく、それだけの器量や要領、教養がないのが女中になる。私娼も盛んになりますが、これも同様に誰でも稼げるわけではない。

女工の労働条件も少しずつ向上していて、女中よりはましだったわけですが、体を壊すと働けない。そういうのが女中になります。

宮本百合子も平塚らいてうも矯風会を批判-『女工哀史』を読む 14」にあった通り、平塚らいてうが1年間に雇った8人の女中の半数は肺病を患っていて、その4人のうち3人までが女工上がりでした。

これを書いた女性の言葉』掲載「我が国における女工問題」はそのタイトル通り、「女工はどれほどひどい環境に置かれているか」が主題であって、これを読んだ当時、平塚らいてうが1年間に8人の女中を雇ったという点に「どんだけ余裕があったんか」と思いつつ、今と違ってちょっと売れている作家であれば、女中や書生を置いていたわけですから、「こんなもんか」と思って、主題の方に頭が移行しました。

8人もの女中を雇ったのは、半数が病気持ちだったために、短期でクビにしたのかもしれないですけど、なんにせよ常時女中がいたわけです。ことによると複数いた時期もあったのかもしれないですが、1人だけだったとしても、半数は健康だったのに、わずか3ヶ月程度で入れ替えていたことになりますから、ちょっと気に入らないことがあるとクビにしていたのではないか。

 

 

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