松沢呉一のビバノン・ライフ

コーランを焼かれて怒ったムスリムがユダヤ人虐殺の歌で気勢を上げた—ポストコロナのプロテスト[15]-(松沢呉一)

スウェーデン・マルメでのコーランを焼く極右とムスリムの暴動—ポストコロナのプロテスト[14]」の続きです。

 

 

マルメの暴動に対する反応

 

vivanon_sentenceあくまで私の感触ですが、マルメの暴動に対して、スウェーデン全体としては無関心層がおそらくもっとも多い。関心を抱いても、「また暴れているのか」で終わる。移民エリアでの騒ぎに過ぎず、今までにもあったことです。

しかし、さしたる関心はないながら、「ムスリムがまた暴れているのか。恐い」との反感を抱く人、強化する人もいましょう。とくに排外主義的な考えを持つ人じゃなくても、この感情を抱くのはさほど不思議ではない。

この暴動までを支持する人たちもいるかもしれないですが、おそらく少数。スウェーデンのムスリムの中でも決して多くはないはず。

ムスリム以外で支持する人たちがいるとしたら、「ムスリムたちはただでさえ仕事がなく、貧困を強いられている。その上、コロナで逼迫してその鬱憤が限界に来ているのだから、彼らだけを責められない」という論理かと思います。支持というより同情的な感情です。これも理解はできます。

もともとスウェーデンは失業率が高く、その多くは移民です。それに加えてコロナです。他の国ほどではなくとも、スウェーデンでも経済停滞は起きていますから、その皺寄せは彼らに向くし、貧困層がもっとも感染しやすい。

しかし、スウェーデンは経済停滞がもっとも起きにくい方策を選択したのですから、この点においてスウェーデン社会を責めるのは酷かと思います。酷ですけど、メシが食えなきゃ騒ぎたくなるわな。

あるいは「ムスリムはレイシストに迫害をされている。ネオナチを追放できていないスウェーデン社会にも責任がある。だからあの暴動は弱者の抵抗として許される」みたいな論理もあるかもしれないですが、そんな論理が成立するかどうかをさらに確認していきましょう。

※2018年10月3日付「GT」 移民についてのスウェーデンの記事を読んでいたら、「ヨーテボリのディスコ火災」が出てきました。ヨーテボリ(Göteborg)はスウェーデン第二の都市で、マルメの50キロほど北に位置し、1998年に前科もちの不良たち4名がディスコにタダで入ろうとして断られ、その腹いせに火を放って63名が死亡(建物を焼こうとしたのではなく、火災報知器を鳴らしてイベントを中止させようとしたらしい)。それから20年目の2018年に回顧記事が多数出ています。スウェーデンに限らず、北欧はだいたいそうだと思いますが、偏見が増さないように、彼らが移民の子どもであることに触れていなかったり、触れていてもどこからの移民か、信仰は何かについては書かれていません。実際、具体的なことはわかりませんでしたが、この事件は「移民問題」を考える大きな契機にはなったようです。この頃よりもさらに移民が増えて、現在国民の2割程度が移民とその子どもであり、マルメではその倍以上ですから、移民エリアからもともとの住民は出ていって、移民エリアの出来事は、ネイティヴにとって「よそ事感」も出てきているだろうと思います。いいことか悪いことかはわからんです。

 

 

対立の激化

 

vivanon_sentenceネオナチとムスリムの対立とともに、ネオナチとBLM勢力の対立も強まっています。

以下はフィンランド。

 

 

このカメラはカウンター側から撮っていて、ドラム隊もカウンター。あの柵の中で、アンチ・イスラムが集会しており、柵を突破しようとしたイスラム・グループと警察が対峙。私も突っ込みたい。

冒頭で、「カメラを回すな」と文句をつけてますが、この時だけでなく、彼らはしばしばメディアに文句をつけてます。映像を利用されることを防ぐのと、外国人労働者の場合、国外退去になりやすいなどの事情があって、その証拠となることを怖れているためでしょうけど、だったら顔を完全に隠せばいい。公道で暴れれば撮られるのは当たり前です。

こういうところで私はどうしても反発を覚えます。警察でもプロテスターでも、これをやってはいけない。

 

 

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