フェミサイド(femicide)を主張する時に出す数字に意味がない—ポストコロナのプロテスト[56]-(松沢呉一)
「メキシコのアナキズム系フェミニストたち—ポストコロナのプロテスト[55]」の続きです。
レッド・シューズ・プロテスト
メキシカン・フェミニストたちの行動の続きです。
今年の1月13日。
アート系プロテスト。
メキシコでは平均10人もの女性が毎日殺されているのだと言っています。
スペイン語ではfeminicidiosのようですが、フェミサイド(femicide)という言葉が出てきます。女に対するジェノサイドであり、もうちょっと厳密に定義すると「ジェンダーに基づくヘイトクライムとしての大量殺人」といったところかと思うのですが、ただ単に「女が被害者である殺人総体」として使用されていることの方が多いのかな。
では、その主張を検討してみましょう。
今年の国際婦人デー
以下は、本年3月8日の国際婦人デー(International Women’s Day)のメキシコシティです。
実際にはもっといたとの説もありますが、8万人も集まったんですってよ。
この翌日にはストライキが決行されています。ポーランドからの流れでしょう。
他の動画で英語で語られていたところによると、「メキシコでは女性が多数殺されていて、その数は5年で倍増している。政府は対策をとれ」とのことです。
この日は国際婦人デーですから、個別に持ち込まれたテーマはさまざまあったとして、これが統一テーマだったようで、翌日のストライキも「フェミサイドが増加していることに対して政府は無作為である」というテーマでした。
殺された女性すべての数字をただ出すのはおかしくないか?
このストライキは予定通りに実施されて、数万人が出勤せず。事前にわかっていたことなので、一部の店や工場は休業となり、企業によっては「ストライキに対して処分しない」と発表もしていて、大きな混乱はなかったようです。大きな混乱になった方が効果があったかもしれないけれど。
ここに私の疑問が生じます。これはここまでのアナキズム系武闘派覆面部隊とは別の話です。平和的なデモを主催した人たちと、それに賛同した人たちへの疑問です。
5年で殺人件数が倍増しているのだとすると大ごとです。こういう場合は数字を確認しないではいられません。
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