松沢呉一のビバノン・ライフ

文化財を破壊するプロテストは信用できない[下]—ポストコロナのプロテスト[64]-(松沢呉一)

文化財を破壊するプロテストは信用できない[上]—ポストコロナのプロテスト[63]」の続きです。

 

 

ジュリアナ・ルンムバの言葉

 

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文化財の破壊について私が同意できるのはこの人の意見です。

 

 

2020年6月28日付「VRT NWS

 

ジュリアナ・ルンムバ(Juliana Iumumba)さんは、パトリス・ルムンバ(Patrice Emery Lumumba)の娘です。コンゴ独立の闘士であり、首相として暗殺されたコンゴ史に残る偉人。

 

 

レオポルド2世は、好むと好まざるとにかかわらず、ベルギーとコンゴの歴史の一部です。画像を削除したり、画像を残したりしても、歴史は変わりません。

 

 

オランダ語からの自動翻訳です。銅像の議論を踏まえたものですので、「画像」は広く複製された肖像の意味でしょう。「残しても変わらない」ではなく、「なくしても変わらない」に重きのある言葉であり、このあと歴史を残すことに意味があるとの話をしています。

時代はかぶっていないですが、レオポルド2世は父親が闘ったベルギーの植民地政策を作り出した人物です。

その人が言う言葉だけに重みがあります。負の歴史も歴史です。それがあって今現在があります。その負の歴史を肯定しろと言っているのではなく、負の歴史を知ることで未来につなげるべきだと言っています。

アウシュヴィッツ収容所を残しているのもそういうことです。

ヒトラーは銅像を建ててはいなかったと思いますが、写真や絵画を崇拝対象としていました。それも残せばいい。写真は複製可能ですから、数点残せばいいですが、画家が描いた絵であればそのまま保存すればいい。公開する場合は解説をつければいい。

我が闘争』の扱いと同じです。なかったことにしてはいけない。どこの家にもありながら、ほとんど読まれなかった『我が闘争』ですが、ナチスに対する抵抗運動をやった人たちには読んでいた人が多かった事実の意味を考えて欲しい。私もナチスをちゃんと調べておきたいと思い立ったのは、たまたまあの本を読んだのがきっかけです。国会図書館が公開してくれていてよかったですよ。

 

 

文化財の選別

 

vivanon_sentenceかといってあらゆるものをすべて残すことはできないので、そこには選別があります。その選別はたとえば博物館の学芸員だったり、文化財を指定する委員会だったりが担当し、個人も個人の所有物を選別しています。

その選別に不満が生じることもありましょうし、私も日本における歴史の保存基準については不満がありますけど、公共性のある建造物やモニュメントに不満があっても、個人の判断で破壊することは許されない。

たとえば独裁国家に対するプロテストで、国家を崩壊させることまでを目的とする場合、ひとつひとつの価値など検討している余裕はなく、「すべてを破壊しろ」となって、文化財に火を放つことが容認される局面はあるかもしれない。

あるいはその独裁者の銅像を独裁の象徴として壊すことも容認されるかもしれない。

そういった状況はあり得ると思いますけど、BLMで銅像を海に捨てたり、フェミニストが文化財や絵画を破壊することにそれに匹敵する理由があるとは思えない。ただの憂さ晴らしです。

 

 

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