松沢呉一のビバノン・ライフ

ネパールのオリ首相が中国から裏金をもらったとの疑惑—ポストコロナのプロテスト[68]-(松沢呉一)

ネパールで大挙逮捕された中国人たち—ポストコロナのプロテスト[67]」の続きです。

 

 

画期的アンチ・ロックダウン・プロテスト

 

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こういったネパール特有と思えるプロテストはありましたが、これを除くと、コロナ禍でのネパール最初のプロテストは官邸前で行なわれた6月9日のものだと思われます。

 

 

 

 

前回の中国人観光客の抗議を除くと、これがネパール初のコロナ期のプロテストだと思われます。この日のプロテストには画期的な意味があったらしいです。

かつて王がいた時代のネパールでは左翼活動が盛んで、共産党(同じく共産党と名乗っていても、路線違いの多数の党があった)が中心になって反体制運動を担っていました。現首相のK.p.シャルマ・オリ(खड्गप्रसादओली)も共産党の活動家であり、長期にわたって投獄されています。

1990年にはネパール革命があって、絶対君主制から立憲君主制に移行し、各種共産党は統一左翼戦線として統合され、これがネパール共産党となって、以降は議会活動となります(ネパール共産党はその後再度分裂)。

2001年のネパール王族殺害事件によって、ビレンドラ(वीरेन्द्रवीरविक्रमशाह)国王、アイシュワリヤ(ऐश्वर्यराज्यलक्ष्मीदेवीशाह)王妃、シュルティ(श्रुतीराज्यलक्ष्मीदेवीशाह)王女など9名が死亡、銃を乱射したとされるディペンドラ(दीपेन्द्रवीरविक्रमशाह)王太子も自殺を図って意識不明になり、意識のないまま国王に即位しますが、3日後に死亡し、ビレンドラの弟であるギャネンドラ(नेन्द्रशाह)が王位を継承。2008年に240年にわたる王制は廃止されます。

国王が圧政を敷いていたわけではなく、民主的な考えの国王だったようですが、君主制が終わり、2015年から2016年、2018年から現在までネパール共産党のオリ政権です。

 

 

FUCK WHO

 

vivanon_sentence君主制の時代から、一応は民主政治に変換をしたことから、かつてのような激しい反政府運動は行なわれなくなり、若者たちはおとなしいとされてきたのに反して、ついにここに来て反逆。

最初からそのつもりだったのではなく、ソーシャルディスタンスを保って、マスクをしての座り込みをしていたのに、警察がロックダウン中の集会は禁止だとして強行に排除して、放水車も登場したことに若者たちが驚愕。

 

 

 

 

「警察の正体見たり」で、ここから急速に反政府色が強まると同時に、全国に飛び火します。

この動画自体、それを受けて、反警察色を強調したのだろうと思います。

この動画ではわかりにくいですが、プロテスターたちの主張を見てみると、「ロックダウン反対」と「政府はしっかり対策をとれ/PCR検査を増やせ」という一見相反する主張があります。

「どっちだよ」と思ったのですが、両立しないわけではないか。「無駄な対策はやめて、有効な対策をとれ」という考えです。私も「他はやめて死にやすい層の対策をとればいい」と言っているので、広くは同じです。検査は必要最低限でいいと私は思いますけど、その必要最低限レベルにも達してなければそれも両立します。

ここに反政府色が加わったのがネパールのプロテストです。この反政府の中身はコロナ対策に関するものだけではありません。オリ政権の腐敗であり、FUCK WHOの文字もあって、他のデモでもWHO批判はなされています。

 

 

ネパーリ・パンクの重鎮RAI KO RIS

 

vivanon_sentenceこの動画に、ネパールのパンクっぽいBGMが使用されていて、YouTubeではあの曲は見つからなかったですが、検索してみたら、ネパールにもパンクバンドがいっぱいいます。

以下がネパーリ・パンク界の重鎮であるRAI KO RIS

 

 

 

バンドのサイトによると、ネパール人とフランス人夫婦が中心になって、2000年に結成。アナルコ・バンク・バンドと銘打ってます。壁に「We❤️You Pussy Riot」とあります。

 

 

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