松沢呉一のビバノン・ライフ

藤井隆のオネエ芸を批判する人たちへの反論(20年前の話を蒸し返す)—メキシコのホモフォビアと日本のホモフォビア[2]-(松沢呉一)

猫町倶楽部で話したことの補足—メキシコのホモフォビアと日本のホモフォビア[1]」の続きです。

 

 

 

日本の場合

 

vivanon_sentence前回見たメキシコのホモフォビアのありようは、トランスジェンダー差別の強いラテンアメリカ諸国に通じそうです。

さらに、程度の問題であって、日本でもゲイだのトランスだの、正確には理解できていない小学生のうちから、「女みたいな男」はいじめられるとよく言われますから、性の対象が男か女かという性の指向とは別に、言葉、振る舞い、考え方として男という規範からの逸脱は忌避されることを示唆し、これがトランスに対するフォビアはもちろん、同性愛に対するフォビアの一部を構成しています。そしてこれがヘテロの外に出る言動、外には出ない心理をも規定しています。

私は小学校低学年まで体が弱くて、「虫より花が好き」「プラモデルよりぬいぐるみが好き」「外より家が好き」なタイプで(怪獣は好きでしたけど)、学校で女子にいじめられて泣いた体験もありますが、「女っぽいから」ではなく、「弱々しくておとなしいから」です、たぶん。

少なくとも私の受けとり方としてはそういうものだったため、「男が女っぽいことは避けなければならない」との思いがあったとしても、強くはなかったですが、はっきりとそこを理由にしていじめられる例があるだろうことは想像できます。

「ジェンダーからの逸脱」に対する嫌悪、軽蔑がM男に対する視線にも反映されていて、「M男はカッコいい」「M男は強い」なんて言っているのは私や一部女王様たちだけで、一般にはやはり忌避される存在らしい。「らしい」とするしかないのは、私の中にその感覚が薄いからです。

そのため、タチよりネコが蔑視の対象になるメキシコ基準が理解できないのですが、日本でもその傾向がおそらくあるのだろうと想像します(ここは自信がなく、男臭い男が同性愛者であった方が落差が大きい分蔑視されるのかもしれないとも思うのですが、よくわからん)。

※2019年3月9日「gcn」 ラテンアメリカとカリブ諸国を合わせて5年間で2,900人のトランスジェンダーが殺されているとの記事。これによると、このエリアでは法整備が進む一方で、状況は悪くなっているとあります。法だけでは解決できない。

 

 

藤井隆のオネエ芸批判と擁護論

 

vivanon_sentence以上は猫町倶楽部で話したことの補足です。ここから話は20年ほど遡ります。

吉本の芸人、藤井隆がテレビに出るようになってお茶の間での人気が高まっていた頃に、藤井隆は「ゲイではないのにゲイのネタをパクっている」といった批判がゲイの中から出ていました。対して私は藤井隆を擁護する原稿を書いています。

いい加減な私の記憶では、その時の私の擁護論の要旨はだいたい以下。

 

●ゲイのオネエ芸は男が女性性を表現するものであり、ゲイの独占物ではない。

搾取だの簒奪だので言えばゲイのオネエ芸は女を真似することですから、男が女性性を演じて笑うものとしてまず批判されるべきです。あくまで「その論で言えば」であり、私は全然そう思っていないですが。

 

●藤井隆の芸は、オネエっぽさを演じているのではなく、自身がそうであると見える、いわばキャラとしてのオネエ、存在としてのオネエである。

周辺の芸人たちでも、しばらくの間、藤井隆はゲイだと思っていたくらいで、私も当初彼はゲイなのだと思ってました。つまり、そうではない人が芸の中でゲイを演ずるのではなく、彼はふだんもそのような素振りを見せていて、ゲイと見なされることを引き受けていました。

 

●自身がゲイではないと言っている局面もありつつ、自身の性がわからない旨の発言もしていた。

そういう人っていますよ。自分が男が好きなのか女が好きなのかわからない人。性の対象が定まらなかったり、恋愛感情なり性欲なりが明確ではない人。小中学生のうちならいざ知らず、20歳過ぎて、そこんところがはっきりしないのは、その時点ですでに規範から逸脱しています。そういう人に「おまえはゲイではない、ヘテロだ」と断定するのはどうなんですかね。

 

 

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