松沢呉一のビバノン・ライフ

皆が思っている以上にKABA.ちゃんが変えたものは大きい—[ビバノン循環湯 577] -(松沢呉一)

2005年に書いたもの。媒体はおそらく「実話ナックルズ」

 

 

韓流ブームが変えたもの

 

vivanon_sentence新宿駅構内で、おそらく十代と思われる若い男二人が大きな声で会話をしながら歩いていた。

「韓国の女とつきあいてー」

「いいよなー、韓国の女」

すぐ横をしばらく歩いたのだが、韓国女優の話で彼らは盛り上がっていた。

「金髪の女とつきあいてー」と思っている中年男は今もいっぱいいるだろうし、「韓国買春ツアーに行きてー」と思っている中年男もいっぱいいるだろうが、どうやら彼らはこのところの韓流ブームで韓国人女性に憧れを抱くようになったようである。中年女性だけではないのだ。

ほんのちょっと前まで、日本における韓国のイメージは決して芳しいものではなく、むしろ「嫌いな国」のひとつだったろうが、各種調査で明らかになっているように、そのイメージは大きく転換しつつある。これが、たかがテレビドラマや映画によるものなのだから、文化の力は大きいってことだし、良くも悪くも日本人は情報に流されやすく、アバウトってことだ。

そのアバウトさがゲイのイメージをも確実に変革しつつある。今から15年ほど前、女性誌を中心にゲイ・ブームとも言える動きがあった。単行本も次々と出され、ゲイ・リベレーションの運動も活発になった。

その時にも日本人の意識変革が確実になされたとは思うが、誰もことさらに指摘しないだけで、ここ数年、さらに劇的にゲイ・イメージが変わってきている実感が私にはある。

以前から、新宿二丁目では、有名人の誰がゲイなのかという会話がよく交わされていた。ゲイにとっては、「仲間」が各界で活躍していることは誇りであり、自分の支えでもある。

対して、ゲイではないノンケがこういう会話をする時はしばしば嫌悪が混じったものだ。「××もホモらしいよ」「ゲーッ、気持ち悪い」という具合。

ところが、特に若い世代に関しては、「ゲーッ」がなくなって、「へえ」という意外性だったり、時には「やっぱり」という納得だったりがつく程度になった。また、こういった情報にやたらと詳しいのも増えた。

以下は私が体験した実際の会話。

「Nがゲイだったのはショックーゥ。好きだったのにぃ」

「おめえが好きでも、どうせ相手にされないんだからさ」

「そうなんだけど、金輪際、相手にされることがないとは思いたくないよ」

この場合、好きなタレントが手に届かないところに行ったということがショックなだけで、ゲイであることに嫌悪はない。今までだって手が届かなかったわけだが。

「あと、KやOもそうなんでしょ」

Nは20代の美形俳優で、デビュー前に二丁目に出入り。Kも美形と言えば美形だが、毒にも薬にもならない存在としてお茶間人気の高い20代タレント。Oは人気ドラマの主演として人気があり、また同名の映画もヒットした。これらの情報は二丁目ではなく、ノンケの女たちから私は教えてもらった(本当にそうなのかどうか私は知らない)。

 

 

変革の中心にいるのがKABA.ちゃん

 

vivanon_sentenceこういう情報は、インターネットでもごく当たり前に流れているので、いくらでも入手でき、しばしばその発信元はゲイのサイトだったりもするし、ゲイとノンケが仲良くこんな話で盛り上がっている掲示板を見ることもある。

アメリカにはアウティングという運動がある(「あった」と言った方がいいのかな)。偏見のある人々やメディアによる悪意ある暴露を無力なものにするために、ゲイの側から好意的暴露をするのだ。その方法も徹底していて、ゲイである確証をつかんだ著名人の名前入りのポスターを張り出すようなことまでやる。それを支持する層に力がなければならず、日本では無理だと言われていたが、こんな方法をとらずしてインターネットが暴露し、「ゲイの存在なくして、俳優も声優も歌手もデザイナーもモデルも語れない」ということを知らしめている。

このような状況を見ても、この国のゲイ・イメージが大きく変わったと実感しないではいられない。おそらく本人にはそんな意識はないまま、この変革の中心にいるのがKABA.ちゃんだと私は見ている。「そんなことで」と思うムキもあろうが、そんなことで変わるのがこの国であり、そんなことでしか変わらないのがこの国なのである。

 

 

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