松沢呉一のビバノン・ライフ

飛行家・スパイ・公娼廃止活動家の華々しき自伝—マルト・リシャール著『私は女スパイだった』[1]-(松沢呉一)

 

 

私はスパイになれない

 

vivanon_sentenceまずお断り。今回紹介する本をこれから読もうとする方は、以下は読まない方がいいです。邦訳は1980年に出たものですので、これから読もうとする人はいないと思いますが、もしいたら、真相を知らない方がハラハラドキドキしながら楽しめます。読み終わったら、以下をどうぞ。

 

私は女スパイだった—マルト・リシャール自伝』を古本で購入したのは、略歴を読んでフランスの売春禁止法(注)制定に関わった人物だとわかったからであり、目次にもそれに関する章が最後に方に出てくるからです。そちらの興味で買ったはいいものの、それがメインの本ではないので放置してました。

ちょっと前に中川えりなが女スパイの映画「ソニア」を観たというので、スパイについての話をして、「オレはスパイにはなれない」と私は以前から考えていることを告白しました。

「スパイになれ」と言われたことはないし、この先も頼まれることないでしょうけど、もしそんなことになっても断ります。スパイのタイプにもよりますが、味方のふりをして敵陣深くに入り込むタイプのスパイは無理です。仲良くしている目の前の人たちを裏切るのが仕事なんですよ。

あるいは敵国の女兵士や秘書に迫ってねんごろになって、ベッドで秘密を聞き出したりします。心にもない愛の言葉を囁くことも無理だし、その相手が処刑されるかもしれないことがわかっていながら相手の気持ちを利用することも無理。

人としてサイテーでしょ。それができるのは諜報機関に属していて「職務のため」か、たんまり謝礼が出るので「金のため」か、敵国に対する憎悪つまりは「お国のため」です。金のためなら詐欺師と一緒ですし、それ以外の「ため」も、私は薄いです。

たとえば中国共産党を倒すことを目的に米CIAの依頼で内部に入り込んだとしても、一人一人はいい人たちだったりして、なんぼ目的が正しいと確信できてもスパイに徹し切れず、うっかり尻尾を出して私が処刑されます。

※本書では「売春禁止法」となっていますが、それまで売春宿を合法化してきた法律を撤廃したものです。売春宿および売春婦は登録を前提に営業が許されていましたので、公娼制度と言ってよく、彼女がやったのは「公娼制度廃止」とするのが適切かと思います。おそらくこの際に管理売春は禁止されたと思われるので、「管理売春禁止」でもいいかもしれない。ここは本を読んでもはっきりしなかったので、以降は「公娼制度廃止」とします。よって売春宿方式じゃなければ売春は引続き合法。とくに合法としたわけではないので、個人売春は非犯罪化されていると言った方がいいか。ただし、街娼については場所の規制などがあるため、完全な非犯罪化というわけではありません。

 

 

女性飛行家、フランスを勝利に導いたスパイ、公娼制度廃止の立役者

 

vivanon_sentenceそんな話をしていたのですが、そういえば女スパイの本があったなと思って、『私は女スパイだった』を読み始めました。

 

マルト・リシャール(Marthe Richard)は、1889年にフランス北東部にあるブラモン(Blâmont)で生まれ、16歳で家出をして捕まり感化院に入れられ、そこも脱出してパリへ。パリで海産物の取引で儲けていたアンリ・リシェルと知り合って結婚。経済的に余裕のある暮らしで、彼女は当時はまだほとんどいなかった女流飛行家となって(フランスで6人目)、高額だった飛行機も所有し、ヨーロッパ各地で競技会に出たり、曲芸飛行を披露するなどの活躍ぶり。しかし、飛行機事故により負傷して長期入院。

復帰後、女の飛行士も戦争に参加すべくグループを組織して各所に働きかけるが、どこも門前払い。

フランスの諜報機関のトップであるジョルジュ・ラドウ(Georges Ladoux)大佐(本書にはこうあるが、正確には少佐。以下、本書に合わせて大佐で統一する)から声がかかっていた時に、欧州大戦(第一次世界大戦)で夫は戦死し、その復讐心と愛国心からラドウ大佐のもとでスパイになり、中立国であったスペインに渡り、そこでドイツの諜報機関のハンス・フォン・クローン男爵(Hans von Krohn)のスパイ兼情婦となってドイツの情報を収集し、2年間フランスに送り続けて対ドイツ戦を有利に導いた。

1926年、ロックフェラー財団の財務責任者であった英国人トーマス・クロンプトン(Thomas Crompton)と再婚。しかし、結婚2年で夫は死去。

こののち、戦時のスパイ活動が認められてレジオン・ドヌール(Légion d’honneur)勲章を授与された。

第二次世界大戦時はかつてドイツを手玉にとったことでゲシュタポに狙われながらもレジスタンス運動に身を投じる。その運動がきっかけとなって、戦後はパリ市議となって公娼廃止に尽力し、1945年に実現し、翌年国をも動かし、マルト・リシャール法(Loi Marthe Richard)として公娼廃止が実現された。

 

というのが本書の概要。華々しいでしょう。

 

 

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