松沢呉一のビバノン・ライフ

映画化されるわ、勲章もらうわ、公娼に反対するわの裏側—マルト・リシャール著『私は女スパイだった』[4]-(松沢呉一)

創作された愛国心—マルト・リシャール著『私は女スパイだった』[3]」の続きです。

 

 

 

映画化までされた「女スパイ」マルト・リシャール

 

vivanon_sentenceラドウ大佐自身がドイツに情報を流していた二重スパイだとの嫌疑がかけられて逮捕されているのですが(このことは本書にも書かれている)、この嫌疑は晴れて、第一次世界大戦後はその経験を活かして本を出しています。

マルト・リシャールは、直接ラドウが指揮していたわけではないと書いていますが、マタ・ハリ(Mata Hari)はラドウが使っていたスパイでした。マルト・リシャールはスペインで、マタ・ハリと同じホテルにいたことがあって、エレベーターに何度か乗り合わせ、軽く会話をしたと書いています。当時、マタ・ハリはマック・レオドという偽名を名乗っていて、その正体がマタ・ハリだと知ったのはずっとあとのことであり、スパイであることにも気づいていなかったようです。ホントかどうか知らないですが。

マタ・ハリは英仏のスパイでありながら、ドイツにも情報を流していた二重スパイとしてフランスで処刑されています。マルト・リシャールと違い、マタ・ハリが英米のスパイだったのは事実であり、記録があるのですが、ドイツに情報を流していたことの真偽は不明。謎に包まれているし、もともとダンサーやモデルとしての知名度がありますから、真相を知りたがる人は多く、ラドウは彼女についての本を出しています。

これが話題になって、続いてラドウは同じく女スパイものとしてマルト・リシャールの本『Marthe Richard: Espionne Au Service de la France』を出しました。この本についても本書で何度か引用が出ているのですが、マルト・リシャールもまた内容はデタラメだとしています。事実、これは完全な創作でした。

ラドウとゾゾは売れる本を出すべく話し合って物語を捏造。本書でもそのことの記述があって、マルト・リシャールもこの本が出ることは事前に知らされていました。さして気に留めてもいなかったのでしょうが、これがベストセラーになります。本人はそんなことは書いてないですが、彼女は印税の半分を要求。

それを得た上で、この本の骨子を使って自身で手記を出し、これも売れました。捏造、つまりは創作であり、それをパクられたのですから、ラドウとゾゾは文句をつけてもいいわけですが、捏造した本をパクられたとは言いにくいでしょう。

1937年には彼女のスパイ物語が映画化もされています(映画はラドウの本が原作)。

ラドウ大佐が先に本を出していたため、この話はそのまま信じられてしまったということもあるのですが、第二次世界大戦を控えて、防諜、防衛意識を高めるべく、愛国心のためにドイツの諜報機関の親玉の情婦にまでなるマルト・リシャールの存在をフランスは欲していました。

※1937年公開「Marthe Richard au service de la France」のポスター

 

 

受勲の仕掛け

 

vivanon_sentenceスパイの功績によってマルト・リシャールは勲章を授与されています。スパイの話がウソだったら、なぜそんなことになったのか。ここにも裏がありました。

その決定をしたのは当時の首相であるエドゥアール・エリオ(Édouard Herriot)首相であり、マルト・リシャールは当時エドゥアール・エリオの愛人でした。

本人も書いているように、マルト・リシャールはドイツのスパイではないかと戦中から疑われ、家族も迫害されています。実際にフランスの情報をドイツに流していた可能性もあります。

その見方を覆せなかったため、国のお墨付きをマルト・リシャールはエドゥアール・エリオにねだったのでしょう。肉体で得た勲章というわけですが、もうひとつ仕掛けがありました。勲章は、フランスにおけるロックフェラー財団の活動に対して亡き夫のトーマス・クロンプトンに授与されたもので、彼女はその代理として受勲しています。

おそらくですが、エドゥアール・エリオは彼女のスパイとしての活動は虚偽であることを知っていて、愛国心高揚のために利用はしても、虚偽に勲章は出せず、苦肉の策で夫の貢献に対して授与したのではなかろうか。それを彼女はあたかも自分に対する勲章であるかのように喧伝し、フル活用したというわけです。

彼女の「活躍ぶり」はドイツもつかんでいたかもしれないですが、まるで根拠がないので相手にはしておらず、ゲシュタポに狙われていたという話もガセらしい。何もかもがウソかぁ。

戦争末期にレジスタンスに関わっていたことの一部は本当のようですが、愛国者として祭り上げられた彼女としてはそうするしかなかったとの見方もなされています。

※「Marthe Richard au service de la France」のポスターは何種類もあって映画会社は力を入れていたのかも

 

 

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