松沢呉一のビバノン・ライフ

創作された愛国心—マルト・リシャール著『私は女スパイだった』[3]-(松沢呉一)

ベルリン「エルドラド・クラブ」によってナチスの追手から逃れた—マルト・リシャール著『私は女スパイだった』[2]」の続きです。

 

 

なぜレジスタンスの話を飛ばしたのか

 

vivanon_sentence「どうも変だなあ」との疑惑が決定的になったのは対ドイツ・レジスタンスについての以下の記述です。

 

私は一九四〇年から一九四四年(第二次世界大戦中)の間は、一人で散発的にレジスタンス運動をしていた。

そのめざましい働きといえば境界線を越えるという難しい仕事を何度もして、落下傘で降りた同盟軍の航空士をかくまったり、迫害されているユダヤ人たちを助けたことだった。これは私が一九一六年と一九一七年に冒していた危険とは、比べものにならないほど危険な仕事だった。

考えてみれば、私が一九一六年にラドウの機関に入った時、私は二七歳だったし、一九四二年のこの時は、私は五三歳になっていたのだ!

この戦時中の話は、もう通り過ぎよう。

 

 

レジスタンスの話はこれしか出てこないのです。話がまた長くなるので、これについてはまた別の本にしようと思ったのかもしれないですが、スパイについては不自然なくらい詳細です。住所の数字やさして重要ではない人の名前までが具体的に出ていて、「なんでこんなことまで記憶しているのかな」とたびたび思いました。当時の資料を残していたのかもしれないですが、なぜレジスタンスについてはこうも簡素なのか。

この本の原書が出た年、著者は86歳のはず。

ここで私の勘が作動。スパイの話は相当に脚色しているだろうと疑えます。対して、レジスタンスはほとんど何もしていないのではないか。第一次世界大戦時に接した人々は彼女より歳上であり、なおかつ戦争で多数死んでいます。同じくスパイをしていた人々もフランスの諜報機関、ドイツの諜報機関の人々もすでにこの世にいない。

対して第二次世界大戦時の証言者は、ナチスドイツに殺された人々も多いにせよ、彼女より若い世代にはまだ生きている人たちが多数います。ウソをいえばバレるのです。

フランスのレジスタンスの事情はよく知らないですが、ドイツ本国の抵抗運動でも、ポーランドのレジスタンスでも、単独でそうもめざましい活動をした例はほとんどないはずです。単独でできることは友人のユダヤ人を匿うことくらい。それにしたって、多数の人々が連携をして捕まらないようにするわけで、一人でできることなどたかが知れてます。

一人でやったということにしておけば証言者がいないことは不思議ではないですが、一人でやったことの不自然さがつきまといます。疑われることを予期して「一人で」と書いて、いよいよおかしくなったのではないか。

※『私は女スパイだった』より15歳のマルト・リシャール

 

 

全部読んでも内容の真偽は判断できず

 

vivanon_sentenceこの記述で私は激しく検索したい衝動に駆られましたが、最後まで読んで自分でまずは判断することにしました。あとは戦後編で本は終わりですから。

すでに疑いを抱いていたためでもあるのですが、戦後編の記述も怪しい。公娼廃止を実現した首謀者であることで業者からの嫌がらせを受けたという話が続くのですが、国の法律については彼女はなんの権限もなく、ただ流れを作っただけです。以降は講演活動をしていて、批判はされたでしょうし、嫌がらせの類いもあったでしょうが、命を狙われるようなことまであるか?

また、1954年には警察に逮捕されています。1942年、彼女の友人が盗難に遭って、その時の盗品であるブレスレットを彼女が所有しており、それをこの頃手放したことから彼女がその盗難事件に関わっていたのではないかとの容疑です。

この容疑は免れて、彼女は釈放されているのですが、はっきりとそう断定しているわけではないにせよ、これも一連の嫌がらせであると示唆するようなことを書いています。ただの嫌がらせのために、警察が組織的に動きますかね。警察と売春業者が癒着しているとしても、公娼が廃止されて十年ほど経っているのですよ。

なお、フランスでも戦後は売春する者たちが増加したことが記述されていて、戦勝国でも戦後はそうなるってものであり、なのに日本のパンパンだけが特別にRAAのためだったと言いたがる人たちが多いのはなぜなんですかね。事実なんてどうでもいいからですね。

翻訳者(後藤桂子)によるあとがきでも、私の疑問についてのヒントは何も書かれておらず。読み終えても、私自身、はっきりと「この本の記述は信用できない」とまでは断定はできませんでした。「話が出来過ぎ」ってことが目につくにせよ、出来過ぎの現実は起きますから。

一読して「実話のわけがない」と断定できたカ・ツェトニック著『痛ましきダニエラ』「リアルタイムに書かれた日記のわけがない」と断定できた『ベルリン地下組織』とは違います。私は第一次世界大戦についての知識、その当時のフランス、スペイン、ドイツに関する知識がなさすぎるってこともあって、読む人が読めばもっと的確な判断ができるかもしれないですけど。

※『私は女スパイだった』より30歳頃のマルト・リシャール。文章から見えてくる彼女は、言い寄る男たちは数知れず、妖艶な美貌の持ち主っぽいのですが、写真を見ると、そんなに美人でもない。ただ、見た目よりも言葉や仕草で男を籠絡するタイプはどこにでもいますから、そういうタイプだったんじゃないでしょうか。

 

 

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