松沢呉一のビバノン・ライフ

フランスの公娼廃止を実現した人物は「病的な嘘つき」または「詐欺師」だった—マルト・リシャール著『私は女スパイだった』[5](最終回)-(松沢呉一)

映画化されるわ、勲章もらうわ、公娼に反対するわの裏側—マルト・リシャール著『私は女スパイだった』[4]」の続きです。

 

 

 

20年経つとチャラになる

 

vivanon_sentence1954年、マルト・リシャールが警察に逮捕されたのは公娼廃止とはまるで無関係でした。

彼女のウソを暴いたジャーナリストがいて、その内容は多岐に及びます。第一に彼女はスパイではなかったこと。それで勲章を得たり、その知名度や信頼度で市議になったことの問題。

第二に、欧州大戦後イギリス人と結婚していて、戦後も国籍はそのまま英国でした。つまり、市議になれる資格がなかったのです。彼女は公娼廃止で政治家としての知名度や実績を高めたにもかかわらず、一期しか市議をやっていないようなのは、これが理由でしょう。

第三に、彼女は宝石の密輸をしていたことがあり、窃盗団とも関わりがあったとの指摘です。

マルト・リシャールがこの三番目の容疑にしか触れてなかったのはこの点は証拠が出てこなかったためと推測できます。ブレスレットは盗品ではなかったようなのですが、ジャーナリストや警察は宝石の密輸や窃盗団とのつながりについてのなんらかの状況証拠をつかんでいた可能性が高く、その疑いはなお残っているのかもしれない。

はっきりしないのですが、この時、彼女は短期ながら実刑になったようでもあって、ブレスレット以外の軽微な窃盗や日本における公職選挙法のような法律にひっかかったのではなかろうか。

密輸や窃盗はともかく、この段階で、彼女は経歴詐称と資格がなく市議に立候補した点で信用できないことは明らかだったはずですが、テレビに出ていた頃から20年も経つと宅八郎でも忘れられてしまうように、この事件から20年経って『私は女スパイだった』の原著『Mon destin de femme』が出ていますから、多くの人は彼女の経歴のどこがウソだったのかもわからなくなっていて、逮捕されてどうなったかも覚えておらず、「無罪だった」と言われれば「そうだったか」で終わり、若い世代はまったく知らない存在として読む。

しかも、売春反対勢力は身内の汚点には触れないようにして、褒めるべき点だけ褒めるズルばかりですから、自然とネガティブな評価は忘れられます。

なお、二番目の夫は、あっさり病気で亡くなっています。これを不審な死と表現してあるものも見ました。いきなり体が弱くなって死んでしまいますから。これ以降、彼女は高額な年金を受けとり続けています。

もはや故人とは言え、これ以上は書くまい。

※この写真がマルト・リシャールのものとして使われている例が複数見られますが、これはマルト・リシャールではなく、マルト・リシャールを演じた女優のエドウィグ・フィラー(Edwige Feuillère)です。こちらを参照のこと。フランスに帰化したイタリア人で、当時のトップ女優の一人。マルト・リシャールはこんなきれいではないべと思って画像検索して、このことがわかりました。写真までウソかよ。本人のせいではないわけですけど。

 

 

評伝を翻訳して欲しい

 

vivanon_sentence病的な嘘つき」という言葉からイメージされるのは、自分でも事実か虚偽かわからなくなってしまうような虚言癖です。しかし、そこまでは至っていない感触が私にはあります。冷静に金や名誉のためにウソをつくタイプです。じゃないと騙し切れない。「詐欺師」という評価の方がシックリ来ます。

口がうまいので男に取り入るのは得意中の得意。少しはゾゾに役に立たない情報を送って金を得ていたでしょうけど、それよりもフォン・クローン男爵の情婦をやっていた方がいい生活ができるし、ドイツが戦争に勝った場合はさらにいっそういい生活ができると考えたのではなかろうか。

こういうスパイがいることも彼女は書いています。自分のことかよ。

 

 

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