松沢呉一のビバノン・ライフ

世界中でロックダウンが自由ポイントを大幅に下げたはず—パンデミックの年を振り返る[3]-(松沢呉一)

とくにアフリカ大陸で民主主義の後退は避けられない—パンデミックの年を振り返る[2]」の続きです。

 

 

 

民主国家内の民主度も低下傾向に

 

vivanon_sentence新興経済勢力の台頭とともに、その影響下にある国々の民主度ポイントも低下し、その上、パンデミックによる混乱でそれらの国々のポイントはさらに低下しているというのが前回までの話。

また、昨年、一昨年のフリーダム・ハウスの報告書「Freedom in the World」で、民主度ポイントの高い国家内での反民主主義の動きも顕著になっていると指摘しています。こちらの例として挙げられているのはなにをも差し置いてトランプ政権です。民主化のリーダーとしての米国の地位が下落。

イスラエルも比較的民主度の高い国とされているのですが、ネタニヤフ政権が反民主化色を強めていることが記述されています(「イスラエル建国以来最大規模の反政府運動—ポストコロナのプロテスト[21]」)。

ブルガリアも民主主義国家に入れられていますが、政権の腐敗が進んで、ナショナリズムが台頭しています(「ブルガリアのナショナリストによるプロテスト—ポストコロナのプロテスト[11]」)。

同じく民主主義国家のはずのポーランドではカトリック原理主義による政策が次々と打ち出されています(「ドゥダ・ポーランド大統領のホモフォビアとLGBTプロテスト—ポストコロナのプロテスト[9]」「中絶をめぐるポーランドの記録的なプロテストとストライキ—ポストコロナのプロテスト[40]」「中絶全面禁止を図るカトリック=PiSとそれに反対するウィメンズ・ストライキ(Strajk Kobiet)—ポストコロナのプロテスト[41]」)。

軽く触れているだけですが、ヨーロッパにおける極右勢力も民主主義圏内の権威主義指向の動きのひとつです(「バイキングvs.ネオナチ—ポストコロナのプロテスト[12]」「北欧のBLM(ブラック・ライヴズ・マター)—ポストコロナのプロテスト[13]」「スウェーデン・マルメでのコーランを焼く極右とムスリムの暴動—ポストコロナのプロテスト[14]」「ウィーンの乱射事件と反移民と反イスラムの新しい動きDo5—ポストコロナのプロテスト[53]」「オーストリア国民の4分の1に当たる反移民票がどこに行くのか—ポストコロナのプロテスト[54]」)。

極右台頭について大きく取り上げていないのは、フリーダムハウスの考え方として、極右が政権をとって政策に反映されない限りはポイント化はされないってことと関連してましょう。ムスリムによる反民主的な動きも同様です(「コーランを焼かれて怒ったムスリムがユダヤ人虐殺の歌で気勢を上げた—ポストコロナのプロテスト[15]」「ムスリムにおけるアンチセミティズム(反ユダヤ主義)の浸透—ポストコロナのプロテスト[16]」「今現在ドイツのユダヤ人をもっとも迫害しているグループはネオナチではない—ポストコロナのプロテスト[17]」)。ただ両者とも具体的にムスリムの迫害、ユダヤ人の迫害を実行し、それがムスリムやユダヤ人の行動を抑制するところに至った場合はカウントされるのかもしれない。

結論を言えば、この14年で権威主義国家はいよいよその性質を強め、その影響を他国にも及ぼし、民主主義国家でも民主主義が機能しにくくなってきているってことです。

※「Freedom in the World 2019」より 緑が自由度(民主度)の高い国、紫が自由度のない国、黄色がその中間。国の数ではなお民主主義体制の国が多いのですが、中国が権威主義人口を増やして、人口ではほとんど同じ。しかし、民主主義の国も内部から危うくなってきているわけです。

 

 

2020年度の民主度は大きく後退

 

vivanon_sentenceフリーダム・ハウスが民主度をポイント化する場合、規定の項目で、国民がどれだけ自由を保証され、履行できているかを見るのですが、法と現実をカウントするとあります。たとえば法で表現の自由が制限されていても、実際には運用されず、自由に表現できれば自由ってことですし、法で表現の自由が認められていても、実際には取り締まられるのであれば不自由。

しかし、プロテスト側の反民主的な動きは、他者の自由や権利を制限しない限りにおいて無視でしょう。こちらは「市民的自由」に含まれますし、判定が難しいので。

また、政府の姿勢において、それが必要と権力者や国民が判断したか否か、目的が正しかったのか否かは考慮せず、たとえば集会の自由が保証されているのか、制限されているのかの結果だけを見ることになります。そうしないと数値化があまりに煩雑になりますし、その判定に大きなバイアスがかかります。

あくまで国民側の自由度がポイントになり、戦争になって国民の自由が制限された場合、その戦争を国民が望んだのか否か、正義か否かは問われないってことです、おそらく。

 

 

next_vivanon

(残り 1539文字/全文: 3579文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ