部屋で待つ女—新大久保のとある一夜[上]-[ビバノン循環湯 578]-(松沢呉一)
「映画化されるわ、勲章もらうわ、公娼に反対するわの裏側—マルト・リシャール著『私は女スパイだった』[4]」で取り上げたパリのオルセー美術館で2015年に開かれた展覧会「19世紀のパリでの売春」はその作品の一部を観ただけですが、それでも世界が大きく広がって見えて来ました。「やってはならない写真表現の扱い—ホロコースト・マスクの是非[中]」に「歴史的写真と違って、絵画では歴史と離れたところで鑑賞する度合いが強い」と指摘しました。その傾向はあるとしても、絵画にも歴史は貼り付きますし、その前提にある歴史が見えないことで絵画の意味が読み取れないこともあります。そのことをあの展覧会はよく見せてくれていました。このことをもう少し語りたいのですが、一本にまとめるほどでもなく、何か関係するものを循環して、そこで触れようと思って探したのが今回の原稿です。
2001年に書いたものです。はっきりしないですが、日記みたいなものとして書いて、発表していないかもしれない。日常を切り取っただけの原稿ですが、ヘルスやイメクラが乱立し、街娼がそこかしこに立っていたかつての新大久保の記録としてお読み下さい。絵については最後に追記します。
写真は最近撮ったものです。
店にとっては理想の客
新大久保のイメクラに立ち寄った。別段、目的があったわけでなく、時間があったので、久々に様子を見に行っただけである。こうやって、いろんな店の様子をチェックしては仕事に生かすようにしているのだ。
店長がフロントにいる。
「最近どう?」
「新人がいっぱい入りましたよ」
店長は、私に何人分かの写真パネルを手渡した。ざっと見て、一番目立つコの写真を店長に見せた。
「このコ、受けそうだね」
「でしょ。期待の新人です。そのコは今日が初日ですよ」
「ふーん、雑誌取材できるんだ」
「いや、ダメです」
「なんだ」
私は別の女のコのパネルを見せた。
「このコもいいね」
「そのコも新人です」
「オレのタイプ」
ちょっとキツめでワイルドである。
「このコは顔出しできるの?」
「ダメです」
「なんだ、ダメじゃん。でも、予定がないので遊んでいくかな」
「そのつもりで写真を見せたんですよ」
単なる客の扱いだったのか。
「初日のコは今接客中ですけど、そちらのコはすぐにつけますよ」
私の好みのワイルド系のコである。
「松沢さんにはオススメです」
「じゃあ、このコで」
ところが、店長は半笑いながら、申し訳なさそうな目をこちらに向けて、「あ、いいんですか」と言う。
「あのね、客に勧めておいて、客がその勧めに従ったら、“いいんですか”って念を押す店はどうかと思うな。高まった期待が急に不安とともに谷底に転がっていくじゃないか」
「松沢さんの場合、どんな女のコとでも楽しい時間を過ごす特技があって、女のコも喜んでくれるので、すべて丸く収まると思って、暇をしているコを勧めてみたんです」
「そうも誉められると照れるな。このコでいいよ」
「助かりました」
店にとっては理想の客である。
※大きく変わったわけではないけれど、きれいになった新大久保駅
バスタオル一枚で夜這いをする
この店は夜這いのイメクラである。一人でシャワーを浴びたあと、腰にバスタオルを巻き、脱いだ服を入れたかごを抱え、懐中電灯で通路を照らしながら部屋に入る。もう慣れたけれど、夜這いってこんなんだっけか。
ソっとドアを開けると、薄暗い中で、彼女が床のマットにアイマスクをして寝ている。
「いいんですか」の意味はすぐにわかった。おデブであった。写真は顔のどアップだったので体型まではわからなかったのだ。写真のマジックだ。
本来の正しいこの店の遊び方では、アイマスクをさせたままで体をいじり倒すのだが、会話もせずに体を触っても面白くないので、私はここではいつもこうする。
アイマスクと言っても、メッシュになっていて、女のコは見えているので、つけていてもつけていなくても一緒だが、つけたままだとこっちは顔がはっきり見えない。
顔の印象も写真と相当違う。メイクのマジックだったか。ダブル・マジック。
しかし、こんなことでめげる私でもなく、照明をちょっと明るくした。わが家みたいに要領がわかっている。
「もう仕事は慣れたかな」
「飛び飛びの出勤で、まだ実質一週間も経たないくらいなので、まだ緊張します」
本当かどうか知らないけれど、性風俗はこの店まで未経験とのこと。
「こうやって話さないうちに体を触られるのは怖くない?」
「いや、私、Mっ気があるので、夜這いプレイって、本当に感じるんですよ。こうやって明るくして話す方が緊張します」
ワイルド系のハズだったのにMか。すべてが予想と違う。
「どんな人かわからない人に触られても?」
「うまい人だと感じますね」
こういうのもいて、こういうのがこの店に向いている。
※この写真の中央右のビルにありました。今はゲストハウスになっているようです。昔の客が間違って夜這いしないようにして欲しいものです。
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