松沢呉一のビバノン・ライフ

ドイツ統一前後のネオナチの記録—インゴ・ハッセルバッハ著『ネオナチ—若き極右リーダーの告白』[1]-(松沢呉一)

注:以下の話はあくまでインゴ・ハッセルバッハの著者だけに基づいたネオナチ観であり、ネオナチの全体を表すものではありません。全体についてはこちらのユニットをお読みください。

 

 

ネオナチ青春物語

 

vivanon_sentenceインゴ・ハッセルバッハ(Ingo Hasselbach)著ネオナチ—若き極右リーダーの告白は古本が安く出ていたので、さして期待なく軽く買って軽く読みました。確認するために読み直した箇所はありますけど、メモしながら読んだわけではないので、以下書いていくこともざっくりとした記憶、印象に基づきます。

原書『Die Abrechnung. Ein Neonazi steigt aus』はドイツで1983年に出ていて、邦訳は1995年に出ています。ずいぶん時間が経っているため、「今現在のネオナチ」を知るにはさほど役には立ちそうにないのですが、ネオナチが何を考えているのかを知っておきたいとの思いが以前から少しはありました。批判するならまず知ることから。

読んだらうっかり共感しました。共感はその思想ではもちろんなくて、いい加減でどうにもならないヤツらの、いい加減さゆえに運動が転がっていくダイナミズムに対するものです。端的に言えば楽しそう。それこそナチス黎明期にエルンスト・レームが不良や前科者たちを集めた突撃隊が我が物顔で町を闊歩し、左翼と乱闘していた時期もおそらくは楽しかったのでありましょう。

ここで描かれているのはおもにソ連崩壊からドイツ統一までの約10年くらいの間にあったことで、著者が10代から20代にかけての青春期であり、運動のダイナミズムは東西の壁が壊れた激動の時代と重なっていることが背景にあります。

ネオナチという部分を見ないでおくと、たとえばヒッピー、たとえばパンクのような反体制、反社会ムーブメント、さらに言うなら思想性などない不良の手記を読むような手触りもありました。

この手触りには根拠がないわけでもない。

 

 

ヒッピーとパンクスとネオナチ

 

vivanon_sentence著者のインゴ・ハッセルバッハは1967年に東ベルリンで生まれて育ち、ソ連崩壊前から東ドイツでネオナチ活動をやっていました。その果てに刑務所暮らしとなり、東ドイツに嫌気が差して脱出をするのですが、その3日後にベルリンの壁が崩壊します。命からがら逃げたのはなんだったのかと。

ドイツ統一後もネオナチ活動を続け、若きリーダー格として頭角を現しながら、やがてその活動に疑問を抱き始めて、1993年にネオナチから離脱し、この手記を出しました。

東ドイツ時代はネオナチの活動は表面化せず、政府としてはネオナチは存在しないという姿勢であり、社会的影響力もないに等しかったのですが、不良、チンピラ、脱落者として脈々とその活動は続いていたようです。

1980年代の東ベルリンで、社会からはみ出した者たちのコミュニティはヒッピーとパンクスとネオナチがありました。それらとはまた別のグループとしてスキンヘッズも登場しますが、一部パンクスとかぶりつつ、ネオナチ近似のグループです。ドイツ統一後で言えばネオナチ近似のフーリガンと近い位置づけ。

これらはそれぞれ別のコミュニティですが、著者はまずヒッピー・コミュニティに入ります。働く気がなく、万引きした酒をかっくらっているような連中です。次にパンク・コミュニティで活動。働く気がなく、万引きした酒をかっくらっているような連中です。次にネオナチに入ります。働く気がなく、万引きした酒をかっくらっているような連中です。

 

 

next_vivanon

(残り 1378文字/全文: 2856文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ