松沢呉一のビバノン・ライフ

ネオナチからの脱出—インゴ・ハッセルバッハ著『ネオナチ—若き極右リーダーの告白』[4](最終回)-(松沢呉一)

ドイツ赤軍に憧れるネオナチ—インゴ・ハッセルバッハ著『ネオナチ—若き極右リーダーの告白』[3]」の続きです。

 

 

 

ネオナチの資金源

 

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派手なことをやると注目される。マスコミが批判的に扱っても、それによって人が集まり、金も集まる。だから、謝礼を出すメディアの取材に協力的で、ネオナチを危険視するメディアも歓迎し、むしろ危険視してくれればくれるほどメリットがあります。その中には日本のテレビ局も出てきます。結局メディアもそれで商売をしていて、持ちつ持たれつの関係にありました。

ひっきりなしにやってくるメディアの謝礼がネオナチの資金源になっていたわけですが、他の資金源は資産のあるネオナチ・メンバーや支援者からの提供であり、もうひとつの資金源は一般市民からのカンパです。

とくに移民排除の活動については支持する層がいて、難民収容所のあるエリアの住民たちは難民の追い出しに内心拍手喝采です。そういう層がドイツの至るところにいることは間違いない。難民収容所のあるエリア、あるいは移民が多く住むエリアは貧困層が多いでしょうから、多額のカンパは期待できずとも、「ちりも積もれば」ですし、社会的ステイタスの高い層が多額のカンパをしてくるとも書いています。このような支持なくしてネオナチは存在できない。

この話はナチスをタブーにすることがネオナチを育てる構図をよく見せてくれます。

タブーに踏み込むことで彼らは社会からはみ出した自分らの存在意義を見出してしまう。支持するナチス派閥によっては、つきつめれば「ヒトラーやナチスに批判的にならないと辻褄が合わない」はずですが、そこまでの議論は起きない。タブー視することで、若い世代の4割はホロコーストのことをほとんど知らない、あるいはまったく知らない。関心を抱くと、自分らは良識があると思い込んだ人々の「矮小化論」で潰される

ネオナチはすべてまとめて葬るとという姿勢がネオナチを育てる。葬るはずのメディアが取り上げることで、拡散されて、それが衝撃となって受け入れられて支持され、タブーに踏み込めない潜在的な支持者が自身の代理としてネオナチに金を出してしまう。

ネオナチの中でもナチス支持のありようは違っていそうなのに野合できてしまうのは、タブーに踏み込んでいるという点が共通しているからであり、その差を認識するほどには社会的な議論や、踏み込んだ批判が足りないのではないか。そんな印象を受けました。

※『Fuhrer-Ex』を原作にした劇映画「FührerEx(2002) 監督はインゴ・ハッセルバッハがネオナチを離脱するきっかけを作ったヴィンフリード・ボネンゲル(以下参照)

 

 

社会運動やメディアが陥りやすい道

 

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「派手な行動をする→メディアが取り上げる→仲間が増え、カンパが集まる→もっと派手なことをする」という循環は右派に限らず、社会活動ではしばしば見られるものです。

ポストコロナのブロテストで取り上げたもので言えばメキシコの覆面プロテストです。

平和的なデモの動画を観る人は少ない。数ヶ月で数十しか再生回数がないものもありますし、大手メディアの動画であっても数百しか観られていないことは少なくないものです。

これが警察との乱闘になると、途端に万になって、数十万どころか、ものによっては数百万になります。

だからメディアも派手なところばかり撮りたがります。人数で言えば9割かそれ以上が平和的なデモをやっているのに、覆面フェミニストたちが動画の9割を占めてしまいます。

これによって参加人数が増えていき、カンパも増える。その果てに文化財を破壊し、金の取り合いが始まりました。

ここはメディアの陥穽、視聴者・読者の陥穽、社会運動の陥穽です。

※2020年9月30日付「TAGESSPIEGRL」 1990年からこれまでにドイツで極右に殺されたのが187名に上ることを調査した報告書を取り上げた記事

 

 

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