松沢呉一のビバノン・ライフ

新年早々自殺の話が続く—2021年の抱負(なんて立派なものはもうないけれど)[4]-(松沢呉一)

新年早々自殺の話—2021年の抱負(なんて立派なものはもうないけれど)[3]」の続きです。

 

 

 

SNS原因説と「つきそい自殺」

 

vivanon_sentence前回見たように、一人一人の自殺の意味を確定させることは難しい。パンデミックによって自殺が増えていることはトータルの数字の増加で知るしかなく、その原因については、ざっくりとした推測をしていくしかない。

とくに若い女の自殺が増加していることについては、まだ何もわからないのですが、どうでもいいっちゃどうでもいい。それより男がはるかに多く自殺しているのだから、メディアが少ない方をことさら大きく取り上げるのはバランスが狂っていて、取り上げるならそもそも数が圧倒的に多い男を取り上げた方がまだしも筋が通るし、それがイヤなら全体が増えていることを取り上げればいい。ここはメキシコのフェミニストたちの主張のおかしさについて書いたのと同じです。

ただ、そのことの原因を探究することによって、自殺全体を減らすための対策につながるヒントになるかもしれないので、その点では考えておく意味はあるかもしれない。私なりにやっておきますか。

これについて私が注目しているのはSNS説です。これが原因ではないかと指摘している人がいるのです。病んでいる人たちはSNSに依存して、同類を周りに集めやすいことが理由であり、そのタイプは女子が多いってことです。

「またいい加減なことを」と思うかもしれないですが、案外私はこの説はあり得るように思えてます。おそらく連鎖自殺も女性率が高いのではなかろうか。つまり他者にシンクロしやすい。

私がそう思う根拠は自殺の歴史です。

今はあまりないと思いますが、戦前の自殺には「同情自殺」「つきそい自殺」とでも言うべきタイプがよくありました(「娼妓は心中の名のもとに殺された-「吉原炎上」間違い探し 23」を参照のこと)。

レズビアンの心中と見なされるものもあるのですが、その多くはただのつきそいです。友だちが恋に悩んで死にたがっているので、「私も一緒に死んであげる」と。

「最近の若者は命を粗末にしすぎる」と言いたがる人がいますが、戦前の方が粗末にしていたとしか思えない。すぐに心中するし、戦争するし、戦争したら特攻するし。

遊廓の心中にもこのタイプがありました。心中の多くは、客に自殺する理由があり、その同伴者として娼妓を殺して自分も死ぬ無理心中、というより「まきぞい殺人」なのですが、同意の心中も多くは「会社が倒産して死ぬしかない」「私も死んであげる」という同情によるつきそいです。

よく小説や映画で取り上げられる「愛し合った男女が、一緒になれないことを儚んで心中する」という例はゼロではないですが、極々少ない(「心中する娼妓を医者が語る-「吉原炎上」間違い探し 24」)。金があれば身請けすればいいのだし、金がなければ年季明けを待てばいいだけですから。

※大晦日の上野駅

 

 

SNSは感応の場

 

vivanon_sentence現在複数で同時に自殺するのは自殺サイトで知り合った人たちが練炭自殺するようなケースですが、この場合はそれぞれの人に自殺する理由があって、「つきそい自殺」とは違います。

しかし、同じ場で同じ時間に自殺するわけではないにせよ、つきそいの心理をSNSは作り出しやすいのではないか。誰かが「死にたい」と言い出すと、「私も。辛いよね」と同意するのが現れる。同意するような人々を集めてますから。

SNSの使い方は人それぞれですが、感応を第一に求めている人たちは多いのだと思われます。

「交通事故で怪我をした」と書くと、皆が「大丈夫?」「お大事に」と心配してくれる。「子どもが生まれた」と書くと、皆が「かわいい」「おめでとう」と祝ってくれる。

「生まれてすぐの子どもにかわいいもなにもないだろ」と思ってしまう私には向いてない(「人間の赤ん坊はハムスターと同じか—半世紀以上生きてきて初めて知ったこと」参照)。

誕生日のメッセージがうぜえと感じて、誕生日がわからないようにした私のようなタイプは少数でしょう。

 

 

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