松沢呉一のビバノン・ライフ

ウガンダのムセベニ大統領の強さとボビ・ワインの弱さ—ポストコロナのプロテスト[106]-(松沢呉一)

今週末も目が離せない反プーチンの動きと軟禁をやっと解かれたボビ・ワインについて—ポストコロナのプロテスト[105]」の続きです。

 

 

 

ムセベニ強し

 

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行ったこともない遠い遠い国で起きていることでしかなく、私が何を書こうとも影響を与えるはずがないにもかかわらず、軟禁されて窮地に追い込まれているボビ・ワインを悪く書くことに躊躇があったため、触れなかった点があります。軟禁から解かれたことなので、改めてまとめておきます。

そのこと以外にも、まとめるのが面倒で放置していたことも併せて出しておきます。本題は次回です。

 

ムセベニ大統領が不正をした可能性はある。しかし、不正の証明は難しい—ポストコロナのプロテスト[89]で説明したように、ムセベニ大統領はあれだけの選挙妨害をボビ・ワインに対してやっているのですから、不正選挙との批判は当然として、ムセベニ大統領=国民抵抗運動(NRM)が票数の操作をした可能性はあっても、それを立証することは困難です。なおかつ票の操作をしなければ、ボビ・ワインが勝てたとは思いにくい。あらゆる点で平等で、選挙妨害が一切なければ勝てた可能性があることの指摘しかできない。

「ボビ・ワインはあんなに熱狂的に支持されていたのに」と思うところですが、ムセベニ支持者も決して負けてない。

 

 

 

 

たしかにボビ・ワインの支持者は熱狂的であり、とくにスラムでの人気は高いのは間違いない。ミュージシャンとして支持もありますから、若い世代と貧しい層の支持です。

しかし、国民の半数がムセベニを支持しているのも間違いなくて、こちらは金を持っている層です。バイクを買えるくらいで。もしくはムセベニを支持することで金を得ている人々です。ムセベニは税金を流用した潤沢な選挙資金を投下しています。

それにしても、民主主義を踏みにじる独裁者をどうして支持できるんだって話ですが、民主主義なんてそんなもん、自由や権利なんてそんなもんです。

 

 

独裁は国民が作り出す

 

vivanon_sentence治療法がなく、ワクチンもなかったため、インフルエンザと同じ扱いはできないにせよ、インフルエンザに毛が生えた程度の新型コロナウイルスで、世界の多くの国々で、他の方法を探る奮闘をしないまま、あっさり自由や権利を放棄してしまったように、また、日本でも店や個人に対して懲役刑をもって強制できる法改正が通りかねなかったように。自由や権利なんざ、脆いものです。

そんな国の人たちがウガンダに「民主主義を」なんて言おうもんなら、「あんたらだって簡単に民主主義をかなぐり捨てておいて、どのツラで言うか。あんたらの国でも民主主義より優先するものがあるように、ウガンダにも優先するのがあるだけだ」と返されておしまいですよ。

混乱が続いたウガンダで、ムセベニ大統領はアミン大統領とオボテ大統領を追い出して安定を作り出し、安定政権のもとで安定した生活をしてきた人たちは、今の生活を継続したいとの思いがありましょう。

国民がそっぽを向けば、ムセベニは独裁者にはなれなかったわけですから、国民が独裁者を望んだ側面を無視してはならない。多くの人は金になる方になびくのですし、強い権力者を求めるのです。

虐殺者として名高いイディ・アミン追放後に選挙で返り咲いたミルトン・オボテもかつての独裁者です。それでも国民はミルトン・オボテを選択しました。

ウガンダの州議会のサイトより。オボテの第二期大統領は、反乱を抑えるために無実の民間人を虐殺した血まみれの政権だったと書かれています。

 

 

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