ウクライナの人々はなぜああも路上に出るのか—ポストコロナのプロテスト[94]-(松沢呉一)
「ウクライナのLGBT運動の成果—ポストコロナのプロテスト[93]」の続きです。
ロックダウンに違憲判決を出した最高裁判所
ウクライナではロックダウンに対して多数の裁判闘争も行なわれていて、その経緯については以下の記事が詳しい。
Backgrounder: Ukraine’s response to covid-19 – from total lockdown to adaptive quarantine
その裁判のひとつに対して、6月に最高裁判所は集会の規制など、いくつもの項目について違憲判決を出しています。
これを受けて法務大臣は、実際に行なわれていることは衛生上のニーズに応じているものであり、それがすなわち違法、違憲ということにはならないとの姿勢を明らかにしています。
日本で言えば公共の福祉に該当するので、違憲にはならないといった論理でしょう。しかし、裁判所もそれを考慮して判決を出すのだから、違憲だとしたら違憲なのでは? 判決にそこの含みがあるのかもしれないですが。
この記事自体、EU諸国がやっていることとまったく同じではないにせよ、類似した対策をとっているに過ぎず、違憲とするにはなお根拠が足りないとまとめていますが、EU全体がやってはいけないこと、やる必要がないことをやったのでは?
必要性から容認されるべきものだとしても、本来、それ自体は、違憲であるってことをここでは確認しておきます。
集会について言えば、屋外での集会は条件をつけつつもできるようにし、その選択を担保した上で、屋内についての集会を禁止にするなどのギリギリの方法があったはずです。屋外であれば感染リスクはうんと下がるんですから。その奮闘をしなかった国は全部アウトじゃね?
ウイルスに感染するとしても、集会の権利は守る
それにしても、なぜウクライナの人たちはああもプロテストをするのか。コロナ以前からのことであることはユーロマイダンを見てもFEMENを見てもわかります。
これについての記事もいくつか出ていて、彼らは路上に出て意思表示することが政治に参加し、社会を変えることだとの信念があって、それを規制することは民主主義の否定であるとの考えが強いのだとの解説がどこかに出てました(どの記事だったかわからなくなってしまいました)。
すぐに路上に出て意思表示することが、時に中国からの帰国者の襲撃にもなりますから、いいことばかりではないですけど、「ウイルスに感染するとしても、集会の権利は守る」との言葉が記事に出てまして、感動しました。
平時にこういうことを言う人はたくさんいます。「なんとしても民主主義は守らなければいけない」「路上に出ることが民主主義だ」と。しかし、ウイルスの恐怖は簡単にそれを乗り越えていきました。その程度のものだったわけです。
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