松沢呉一のビバノン・ライフ

ボビ・ワインはウガンダの反同性愛法制定に寄与したクズ—ポストコロナのプロテスト[107]-(松沢呉一)

ウガンダのムセベニ大統領の強さとボビ・ワインの弱さ—ポストコロナのプロテスト[106]」の続きです。

 

 

 

ホモフォビアを表明する人が民主主義者のわけがない

 

vivanon_sentenceここまで触れなかったボビ・ワインのクズなパートを確認していきます。

彼は歌詞にホモフォビアを盛り込んでいたために、英バーミンガムのライブがキャンセルになっています。

 

 

2014年7月19日付「BirminghamMail

 

 

謝罪も撤回もしていないのですが、これ以降は、ホモフォビアを歌うようなことはないようです。国際的には不利であることに気づいたのでしょう。

彼は音楽やスタイルにおいてレゲエの影響が強くて、そこからホモフォビアを借りてきただけかもしれない。だとしても、人権だの民主主義だのを求める人間が、ホモフォビアを歌うことの矛盾に気づけないくらいにバカです。「ゲイに人権などない。しかし、大統領選に出るオレ様の人権は認めろ」と言っているわけです。

実のところ、レゲエのルーティーン・ワードとして、ホモフォビアを歌っただけではないであろうと推測できます。

 

 

ボビ・ワインは同性愛禁止法制定に寄与した

 

vivanon_sentence上の記事は2014年です。

ウガンダでは、2009年に、デヴッド・バハティ(David Bahati)という国民抵抗運動の議員(現在も議員)がそれまでにも違法であった同性愛を死刑にする反同性愛法(Anti-Homosexuality Act)を提案。彼は「すべての同性愛者を殺したい」と発言しています。

この法案は国際的に批判を浴びて棚上げになりますが、これを受けるように、2010年、ウガンダのタブロイド 紙「ローリング・ストーン」(米の「ローリング・ストーン」誌とは無関係)が、同性愛者100人の顔写真と名前、仕事場、自宅住所を晒して、「ヤツらを吊るせ」という記事を掲載。

これに対して、ウガンダで初めてゲイであることを公然と名乗った活動家のデヴィッド・カト(David Kato)は訴訟を起こして勝利しますが、2011年、彼は自宅で殺害されます。

反同性愛法は国際的な批判をされ、ウガンダへの援助金を引き上げる国が続出しますが、2013年末に死刑を終身刑に修正して国会を通り、2014年にムセベニ大統領が署名をして成立しています。

ライブがキャンセルされたのはその年なのです。問題となった曲がいつ作られたものかわからないですが、こういう動きの中で、ボビ・ワインはホモ・フォビアを歌っていたのです。

キャンセルになるくらいに大ごとになったのはこの年だからでしょう。ボビ・ワインもこの法案を支持し、法律の成立に寄与したと見なされたのは当然です。この点では国民抵抗運動をバックアップした人物であり、ムセベニの忠実なパートナーです。

謝罪して撤回すればよかったのに、それもしませんでしたから、確信犯であると判断した人は多いはずです。

アフリカの現実を背景にしているとも言えて、ウガンダ人の大多数は同性愛を許容しない。だから、彼は謝罪も撤回もしない。内心はそうしたくてもできないのかもしれないですが、だったら最初から触れるな、ボケ。

※2011年5月20日付「independent」  「ローリング・ストーン」紙が出た時に批判的に取り上げた記事。このことをボビ・ワインが知らないはずがない。

 

 

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